ちょっと発表


(魚名魚字シリーズPart17)
ブリ、ワラサ、イナダの巻

3組  佐々木洋   

 私が東芝でアメリカの企業との取引に当っていたのはもう30年も前のことですが、当時は既にアメリカで寿司が出回っていたようです。会議のランチタイムに寿司をお出ししたのですが、皆さん結構上手に箸を使って食べておられました。 但し、「ブリ」は初めてらしく「この魚美味しいね。なんという魚だろう?」という質問が相次ぎました。日本人も「ブリ」の英名を知らないので、苦し紛れに“Tuna”などと答えると、「いや、“Tuna”はこちらの方でしょ」と言って、正しく「マグロ」の方を示すのですから、とても馬鹿にならない寿司通ぶりだなと思いました。

 私は「ブリ」の英名を“Yellowtail”で済ませていましたが、これだと「黄色い尾びれの魚」という意味ですから正しくは“Five-ray yellowtail”と呼ばなければならなかったようです。アジ科ブリ属の魚の総称である“Amberjack”を使った“Japanese amberjack”という呼び名もあるそうです。「北西太平洋に生息する回遊性の大型肉食魚」ですから、特に東海岸寄りのアメリカ人にとっては馴染みにくい魚なのかもしれませんね。

 

 ところで、スズキ目アジ科ブリ属に分類される「ブリ」には「鰤」という漢字が当てられていますね。実際に中国にも「鰤」はいるのですが、「実体未詳の毒魚」の意味であって日本の「ブリ」とはちがうのだそうです。妙に筆談などするとエライものを食べさせられてしまいそうですね。日本で「ブリ」に「鰤」を当てるのは、「旧暦の師走(12月)に脂が乗って旨くなる魚だから」とか「“師”は大魚であることを表すため」等の説があるようです。漢字は漢字ですから、「辻」や「榊」などの国字(中国以外の国で作られた、独自の漢字体の文字)とは違いますが、日本人が「鰤」の字に元の意味とまるで違う意味を与えているのですね。

 ブリ」は、成長過程の大きさによって呼び名が変わる出世魚であるということでも知られていますね。関東では「モジャコ(稚魚)→ワカシ(35cm以下)→イナダ(35-60cm)→ワラサ(60-80cm)→ブリ(80cm以上)」と名前を変えていくのですが、関西では「イナダ」の代わりに「ハマチ」という呼び方をします。東芝社員だった頃昼休みにこんな会話をしていたところ、誰かが「でも、東京では魚屋や寿司屋に、イナダとハマチが両方出ているじゃないか」という疑問を呈しました。一同これに首をひねっていたのですが、1人が電話を取り上げて行きつけの寿司屋に電話をかけたところ、「養殖技術が関西で始まり関東に伝わってきた。だから関東では天然物を“イナダ”と称して、養殖ものの“ハマチ”と差別化して高値販売しているのだ。」という旨の明快な回答を得ることができました。

「ブリ」が成熟した大人であるとすると「ワラサ」は若い大人つまり“青年”といったところでしょうか。漢字では「稚鰤」と書きますが、生後4年で全長60-80cmに成長する“青年”なのですから、この「稚」の漢字は似つかわしいものと思えません。実際に、私が船釣りで狙った魚のうちでは最大の魚が「ワラサ」だったのです。年齢がひときわ高いために顧問役を仰せつかっていた東芝の「釣魚隊」。2000年の年末、まさに、20世紀の最終時に、同年釣行に不調をかこっていた吉武雄介隊長(✕✕文命中学校卒、小田高30期生)と清水淳一隊員を、“世紀末大博打”による名誉回復を遂げるべく、沼津は内浦湾の「まきこぼし釣」に誘ったのでした。「まきこぼし」というのは伝統釣法で、小さな長方形をした瓦のかけらの中央部に釣針をしのばせたマグロの切り身の付け餌を置き、この上に被せるようにイワシのミンチのコマセを乗せてハリスでぐるぐると”巻き”、錘の替わりともなる瓦が海中をゆらゆらと沈んでゆく間ミンチを“こぼし”て寄せ餌とする寸法です。

 内浦湾は、波静かで急深な地形を利用して、かつては真珠の養殖が行われていたそうです。そして今はハマチ養殖のメッカで、至るところの入江にハマチの生簀が見られます。そこで「ハマチ」に与えた餌が生簀の外に流れ出すのを狙って「イナダ」が集まる。ここに、同じ魚種なのに、生簀の中の「ハマチ」と外の「イナダ」がご対面という構図ができあがるわけです。イナダだけでなくワラサやブリ、更にスズキやタイの大物も同じ生簀回りに集まり、「まきこぼし」の獲物になることがあると聞くからいやがうえにも胸が高鳴ります。

 そんな生簀回りで船を泊めてから船頭さんの指示に従って釣り始めて暫くして、私の背後に釣座を占めていた吉武隊長から歓声が上がりました。見れば獲物が海中深くに疾走しているのか道糸に緊張が漲っています。指が道糸と摩擦を起こして「指が切れそー」の悲鳴。暫くのやり取りの結果、海中に銀色の姿を見せてきたのは、ワラサに限りなく近いイナダだから”ワラダ”とでも呼びたいような中大物で、これが船内第一号の釣果でした。次いで私の隣の釣座の清水隊員が、今度は少し小さめだが平均的なイナダよりはワラサに近い”イナサ”をゲット。私の指にガツンという衝撃が伝わったのは、YSコンビに取り残された焦りを感ずる間もない時でした。海の快速ランナーは右に左に疾走しますが、ここは年長者らしく慎重にやり取りして魚体を浮かせる。澄明な海中に銀鱗を光らせるターゲット。船内にとり込んだところ、これも”イナサ”でした。取りあえず、YSSトリオ仲良く一尾ずつお土産確保、これで心おきなく大物に挑めます。

 ひたすら「僥倖」の訪れを待つのみ。と、祈り通じてか、いきなりガツンというよりゴンという衝撃。   「おっ」と声を発して、かねて船頭に教えられていた通り生簀側から離れてミヨシの方に一歩足を運んだ途端にフワリ、緊張を失ない水面に空しく漂う道糸。極太で、しかも衝撃吸収用のクッションまで付いた仕掛けが、ほんの一瞬にぶち切られていたのです。「釣り落した魚は大きい」というが「大きい魚だからこそ釣り落とす」という側面だって確かにあるのです。ブリだったのか大ダイだったのか、「今年この一匹」となるはずであった幻の巨魚の怪力ぶりに息を呑み、暫し唖然とさせられていました。

 その後、吉武隊長が大物を針がかりさせ、やり取りと船内へのとり込みの大苦戦。船頭のプロの技術の介添えを得ながらも71cm4kgの紛れもないワラサをゲット。船頭の助力を得る間もなく一撃だけで逸走した不肖の先輩をカバーした小田高後輩が“世紀末大博打”を成功に導いてくれました。2001年の釣魚隊の新年会で配布された「2000 今年の一匹」に載った吉武隊長の満身の笑みをご覧になってみてください。私と清水さんは「今年の一匹」こそゲットできなかったものの、それぞれワカシからイナダに成長したての”イナシ”も含めて5-6美の釣果。20世紀最後の釣行を心行くまで楽しむことができました。

  

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