ちょっと発表




素晴らしきミニ・マイクロ同窓会

2014.10.01   3組 佐々木 洋


史上最強(?)の小田高同窓会  
 我々小田高11期生の水口幸治の仲間(辰年と巳年生まれ)と、その兄貴で8期生の水口健二さんの仲間(丑年と寅年生まれ)には、我々の中学校時代からの交流関係があって、両方のメンバーが入り混じって麻雀などに打ち興じておりました。そして「別々に飲み会をするのもメンドクサイから」というので発足したのが、その名もオドロオドロシイ「丑寅辰巳会」でした(「丑寅辰巳会」http://www4.ocn.ne.jp/~daimajin/Ushitora.htm)。ヤ―さんの会の名前みたいなので、年に1回の飲み会が行われるホテルでチェックインする際には、「丑寅辰巳」を口にすることができず、口ごもりながら「それそれ、そこに書いてあるヤツ」などと「丑寅辰巳様」と書かれた札を文字通り“指”示して済ますのですが、内心では「結構ヘンテコだけどなかなかユニークで良い名前だ」と悦に入ったりもしています。ミニ同窓会ながら、先輩のサークルと後輩のサークルとの二重構造をしているところもユニークなので、名実ともに“史上最強の小田高同窓会”なのではないかと思っているのですが僭越でしょうか。“継続は力なり”で、きちんと年に1回は“総会”を開いてきているのですが、飲み食いしているだけでは“継続はマンネリなり”になってしまうという反省もチョッピリあって、近年は冒頭に“高貴好齢者”を自認する水口健二会長(下の写真の前列中央)が“基調講演”をするようになっています。この写真は今年の“総会”(2014/5/15-16)で撮ったもので、「年々歳々…」と題する“基調講演”がきちんと行われていることの証拠写真にもなっています。

旅烏四人組の偉業

 丑寅辰巳会の流れで辰巳組がそれとなく集まった際にそれとなく話が出てから企画が進んで、アメリカで起こった9・11同時多発テロの直前(2001/7/10-8/1)に実現したのが「還暦記念カナダ・アメリカ西部ドライブ旅行」でした(http://www4.ocn.ne.jp/~daimajin/CanadaAmericaDrive3.htm)。水口幸治隊長(自称ゴルフ君)、山本哲照(別称:テッショー改め元エアロビ君現筋トレ君)、中澤秀夫(愛称:新しく始めた趣味の吹き矢から付いた「フキヤ君」)と不肖私(元平周五郎、現テニス君、転じてカツオ君)から成るマイクロ同窓会“旅烏四人組”が 3週間で、カナダのバンクーバーからアメリカのロスアンゼルスまで9,000km走ったドライブ旅行です。上記のURLの紀行(奇行?)文にも「車の影もまばらな辺鄙な土地の道路を走りながら、“今までにこの道を走ったことのある日本人は何人あるだろう?”と考えてみました。そして更に、“六十歳の年齢で”、“3週間も続けて”となると、殆ど類例が無いのではないか、もしかして僕たちの旅は前例の無い快挙なのではないかと思えるようになってきました」と書いてありますが、更に“高校の同級生同士で”となると世界にも類例がないギネスブックものの偉業ではないかと思っているのですがこれも僭越だったでしょうか。その後も辰巳会から派生したこの旅烏四人組マイクロ同窓会は、欧州(2007/8/26-9/10)とアジア(2012/2/6-13)を“制覇”する“偉業”を重ね、それぞれ「ヨーロッパ三感トリップ」http://www4.ocn.ne.jp/~daimajin/EuropeTrip.htmと「驚愕! 感嘆!ニューハーフ・ショー」http://odako11.net/Happyou/happyou_sasaki_1.html、「タイでタイを釣りたい」http://www.juno.dti.ne.jp/~cimamich/Odako/news11-9p.pdfで奇行ぶりを公に“白状”しています。


魚釣り・天ぷら・花火の総合イベント

 やがて、旅烏四人組に藤井暉生(テルさん、またの名はテリー)が加わって、これもマイクロ同総会・辰巳分科会行事の形で「3F総合イベント」が始まりました。シロギス釣(Fishing)をしてから、熱海の水口のマンションに獲物を持ち込んでさばいて、天ぷら(Fried fish)にして花火 (Fireworks)を鑑賞しながら飲み会をしようという算段です。そして、これが2010/8/22 伊豆山港「静丸」、2011/8/18網代港「利一丸」、2012/8/19 早川港「おおもり丸」、2013/8/19網代港利一丸」からそれぞれ“出漁”するというように年中恒例行事になりました。漁労長は釣歴無慮70年になろうとしている私(下写真左)で、水口・藤井のゴルフライバルもここではともに漁労員で呉越同舟(下写真中央)。船釣り初体験の中澤漁労員がビギナーズラックに恵まれたこともありました(下写真右)。山本テッショー兄は「オレは船酔いするからイヤだ」と“駄々をこねて”「一切苦厄」(般若心経より:“いっさいくうやく”即ち“一切食う役”)”を決め込んで天ぷらパーティーにだけ参加していましたが、その後“改心”してか、一昨年あたりから、新米漁労員として神妙に竿を並べるようになっています。

日焼け完全防備の漁労長
藤井(向こう側)水口の両漁労員
中澤漁労員のビギナーズラック
 かくて、漁労員一同、熱海の水口邸に集結(次の写真左)し、本日の釣果(次の写真中央)をお互いに讃えながら、男子全員厨房に入る(次の写真右)かと思いきや、実際に包丁をとるのは、おだてられて漁労長から“シェフ”に転ずる私で、これを本物シェフの水口夫人・憲子さん(次の写真の右端)がサポートしてくれるというのがお決まりの構図で、“野郎ども”はソファーに戻ってグビグビと始めるのが定番です。そして、夕闇が濃くなると、熱海花火大会の始まり始まり。水口邸は海に面したマンションの11階ですので眺望絶佳。大きく眼前に広がる花火を見ての眼福、釣りたて揚げたてのシロギスとメゴチの天ぷらを食して舌福、心地よく喉を通るビールやワインで喉福。かくて、Fishing、Fried FishとFireworksの3Fイベントは3「福」の大団円を迎えます。
漁労員クインテット勢揃い
山盛りの本日の釣果
男子厨房に入る(?)

3Fを2Fに“縮小拡大”

 さて今年も3Fプロジェクトの企画をと思っていた矢先にLandlord 水口から「花火の時期にこだわらなくても良いのではないか」という提案がありました。そう言えば、皆さん常々、「花より団子」ならぬ「花火より談好」で、花火そっちのけで、天ぷら食べまくり酒飲みまくりしながら語り合いまくっておられますし、実は私自身にも花火の記憶がほとんどありません。”シロギスの釣りと天ぷらに酔い痴れて”しまって、花火の頃には白河夜船状態になっているのが常だからです。なるほど、花火はおれ達には無用の長物だったんだ!だとすれば、シロギス釣りに最適な時期を選べばいいんだ!それに、土日を避ければ、仏に仕える身ゆえ殺生がダメで「釣客」にはなれない望月住職も「食客」として参加することができる!水口提案は良いとこだらけじゃないか!…と大いに感動して、“方程式”を「3F(Fishing+ Fried Fish+ Fireworks)-1F(Fireworks)=2F(Fishing+ Fried Fish)」に“縮小”したところ、望月郁文(通称:モッチャン)だけでなく、昨年から食客として参加している青木敬ちゃんがご夫人連れで参加されたため、人員的には逆に“拡大”する賑々しい2Fイベントとなりました。

釣ってくるぞと勇ましく船出
今年はシェフ帽まで被せられて
オールド・スターズ勢揃い
 しかし、初の火曜日興行(2014/6/18 早川港「おおもり丸」から“出漁”)ですから、翌日(6/18)は早朝に水口邸を抜け出して小田原のラジオ体操とその後の朝食会に参加した後、9-12小田原でのテニス、13-15平塚でのテニスと18時から辻堂での聖書研究会と立て続けに続く水曜日恒例の大多忙スケジュールをこなさなければなりません。このことを聞いた憲子夫人に「佐々木さん、なんだか生き急いでいるみたい」と言われて以来、私は「カツオ君」というニックネームが奉られてしまいました。動き回っていないとダメな私の姿が、泳ぎ回るのを止めると呼吸ができなくなって死んでしまうカツオに似ているからだそうです。

マイクロ同窓会で知るゴルフ今昔

 辰巳魚釣り分科会とほとんど時を同じくして丑寅辰巳ゴルフ分科会が始まりました。年1回の“総会”でホテルにチェックイン前に1ラウンドという寸法で、このマイクロ同窓会の丑寅辰巳・ゴルフ分科会の幹事は、言わずと知れた、言い出しっぺでもある水口ゴルフ君。辰巳組からは他に藤井テルさんと、魚釣分科会参加勧誘にはツレナイ(釣れない)態度を示した辻秀志(本家テニス君、別名:鴨宮大音丞)、そして、ゴルフ歴皆無に近い中澤秀夫が“員数合わせ”のために駆り出されていましたが、“吹き矢界に転身”してからは“昔とった杵柄”ならぬ“昔とったゴルフクラブ”で私が参加しています。ゴルフが“安近短”でできた仙台在勤時代(1972-1974年)には、月に6回もラウンドすることがある“ハード”ゴルファーだったのですが、東京に転勤して戻ってきてからは熱が冷め、特に東芝定年退職(2001年3月)後は「ゴルフは年金生活者のするスポーツに非ず」と決め込んでクラブに封印していた私にとっては、“君恋し”(フランク永井、つまり、ブランク長い)で、現役ゴルファーの皆さんに ついていくのが“ハード”ワークになっています。しかし、このマイクロ同窓会のお陰で私は“ゴルフ界復帰”を果たすことができ、次のようなゴルフ“再発見”をして驚き、浦島太郎さながらの心境で「ゴルフ今昔」を体感することができています。

・ 驚きの再発見その1「ICT(情報通信技術)がスポーツレッスンの世界を“改革”していたとは!」

昨年(2013年)“再デビュー”を前に付け焼刃でゴルフレッスンを受けに行った。コーチは「数球打ってみてください」というだけで一言も発してくれない。タブレット端末で私のスウィングの映像を撮っていてくれたのだ。そしてSeeing is Believing!こんなにひどいフォームで打っていたのか!そして、コーチが見せてくれた同じアングルからの女子プロの映像と比較すると私のフォームの“悪さ加減”は歴然。TQC(Total Quality Control)でも「品質改善は“悪さ加減”の自覚に始まる」と教えられた。ゴルフに限らず自分の姿は自覚し難いもの。自分の姿を客観的に見ることの大切さを改めて思い知らされた。

・ 驚きの再発見その2「ゴルフ界にも技術革新が起きていた!」


私が持っていたのは、東芝時代に恩師の宮本裕先生(経営コンサルタント)からいただいたPinseekerの“業物”フルセット。これを目にしたコーチ氏は目を丸くして、「博物館ものですね。私にもうまく打てるかどうか分からない。ちょっとコワイけど打たせてみて。」と一言して数球試打。さすがに、すぐに快音を発するようになったが、最初の2-3球は“レッスンプロにあるまじき”ヒドイ球を打っていた。しかし私は敢然として“博物館ものクラブ”を手に再デビュー(2013/6/6:伊豆大仁CC)に臨んだ。辻秀志・本家テニス君の目には、デカラケ全盛の時代にレギュラーサイズのラケットを手にコートに立っているように見えたことだろう。水口ゴルフ君も、これを見かねて、今年のラウンド”(2014/5/15)に備えて、かつての“愛棒”フルセットを私に寄贈してくれた。私が持っていたゴルフシューズも、金属スパイクを禁止するゴルフ場が増えてきたということで帽子でもないのに御法度(ハット)。“元祖御法度”であったはずのスパイクレスシューズへの買替えを余儀なくされた。

・驚きの再発見その3「ゴルフ場にも大幅“デフレ”が起きていた!」

再デビューを前に練習ラウンドした時(2013/5/16:塩屋崎CC)の「御請求書」には、「合計金額3,850円」とあった。「えっ、何これ?税金分別納ってこと?」と問う私に「いいえ、それで全額でございます」という涼しい声が返ってきた。“ゴルフ浦島太郎”の私がおぼろげに持っていたイメージによると、1ラウンド2万円超が当たり前であったから、5,000円を下回る「合計金額3,850円」は全く想定外のことであった。これで、昼食バイキングと入浴料込みである。私の「ゴルフは年金生活者のするスポーツに非ず」という先入観はたちどころに雲散霧消した。確かに、ゴルフ場来客減による需要減が価格引き下げの大きな原因になっているのは確かなのだろうが、一方においてはICT(情報通信技術)の駆使などにより経営コストを大幅に削減することによって実現できた低価格でもある。“アベノーエコノミクス”(Abe No Economics)で喧伝されている「デフレ脱却」はここでも論外だと思う。


マイクロ同窓会のルーツ

 小田原駅近くの「魚民」で“辰巳会まがい”の飲み会が行われました(2014/9/20)。出席者は、右の写真の左から、望月モッちゃん、水口ゴルフ君、不肖私(佐々木カツオ)、中澤フキヤ君、藤井テルさんに山本筋トレ君で、限りなく辰巳会に近いのですが、実は旧城内小学校6年4組の中の気の合う者だけのグループに、小田高1年2組(小森先生担任)の時に旧本町小学校出身の不肖私が加わったものです。ですから、丑寅辰巳会以前から存在していたマイクロ同窓会で、寧ろ、“辰巳会の原型”に当たります。古いアルバムの中に下の2葉の写真がありました。1956年か1957年に“原型の辰巳会”で箱根キャンプに行った時のものです。右の写真との間で流れた約60年間の歳月の長さと、それに伴う“経年変化”の程をご覧になって下さい。

 
 
往年の山本テッショーと私
「大きいなる西部」の“真昼の決闘”の真似っこをする藤井テルと私

 上記の“辰巳会まがい”の飲み会での談話を以下の通り収録してメンバーの近況報告に代えさせて頂きます。

  望月モッちゃんは名刹・宝安寺の「住職」の座から退き、「東堂」の名で“代表権のある会長”役を務めている。人工透析は受けているものの体調は良好で、「和みの会」のラジオ体操にも毎朝参加している。

☆  山本テッショー兄は、エアロビクスと筋力トレーニングを二股掛ける時間的・経済的負担を回避するため、筋力トレーニングに一本化している。これに伴って通称「エアロビ君」は「筋トレ君」に改称となった。

☆  藤井テルさんは、未だに麻雀を続けているのが祟って慢性腰痛に陥り、これが引き金となって長年対峙し続けてきた水口ゴルフ君とのゴルフ戦争に白旗を挙げることとなった。

☆  いつもは“下手な吹き矢も数吹きゃ当たる”という軽い気持ちでサポート役に徹している中澤フキヤ君は、初めて小田原界隈での同種の飲み会をセッティングした“功績”を讃えられた。

☆  小田高11期生ホームページ(Web11)が話題になり、常連投稿者である不肖私は、日頃は辛口評論の面々から「佐々木もヤレバデキルジャナイカ」と妙な称賛のされ方をした。

☆ 目を病んで本家テニス君ぶりも発揮しにくくなっている鴨宮大音丞こと辻秀志兄に対するお見舞いと、ミニ同窓会の丑寅辰巳会とマイクロ同窓会のゴルフ分科会への早期復帰を願う声が相次いだ。     

                                               以 上



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