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思い出す旨かったもの  その6 仙台のホヤ

  2015.05.25    2組 下赤隆信

 これは、「旨かったもの」と言えるかどうか定かでないし、また『仙台の「ほや」』というのも厳密にはおかしな言い方であるように思える。「ほや」は万人向きの旨いものというわけにはいかないし、また仙台では「ほや」は採れないからで、わたしの知る限りでは松島や志津川あたりから北、とくに気仙沼あたりの産物であるようだ。
 「ほや」は「くさや」や「鮒寿司」などと同様に、万人向きの旨いというものではないが、私にとってはいっぷう変わった旨いもの珍味そのもので、とくに酒の肴として秀逸だった。
 いまでは関東周辺でもかなり「ほや」というものが知られていて、ちょっとした気の利いた居酒屋では出てくることもあるし、魚屋に出回ることもあるようだ。

 しかし、わたしが「ほや」に出合ったのは、昭和四十年代初めのころで、われわれ関東ものにはおよそ馴染みのないものであった。
 そのころ私は、仙台の支店に勤務していたが、地元の人たちは関東者と見るとやたらに地の食材を食べさせたがって、ずんだ餅、「どんこ」と言う魚、牛タン焼き、などを食べさせられた。
 それも、「もう済んでいる」 というのに、またまた別の人から同じものを勧められるという具合だった。
 牛タンは今のように仙台の名物というわけではなくて、「太助」という店の定番メニューで牛タンそのものが、珍しかったのである。

 「ほや」との出会いは、地元の取引先の人と飲む約束をして「炉ばた」というところに案内されたときだった。
 「炉ばた」は、その後全国に広まった炉ばた形式の店の草分けになったところで、一階が炉ばたの店、二階が宴会場という堂々とした構えの店だった。
 一階は、その名のとおり大きな囲炉裏が切ってあり、その向こう側に立派なこしらえの黒光りする備え付け箪笥を背にして店のあるじが座り、囲炉裏で干物を炙ったり酒の燗をつけたりして、それを長い船の櫂のようなものの上にのせて、囲炉裏の上を越してすっと客の手元に繰り出してよこす。客は有難くそれを押し頂くという寸法だった。
 仙台に「天賞」という古くからの地酒があるが、「炉ばた」のご主人はそこの次男坊だということだった。郷土史の研究家で、特に東北の民芸品、特産物に造詣が深く著作も何冊かあった。
 店の二階には壁一面に棚がしつらえてあり、東北の「こけし」が大小新旧取り混ぜてずらりと並べてあり、それは壮観だった。
 当時の仙台の旨い物屋のガイドブックに「ここ(炉ばた)では必要がなくても領収書をもらうべし」と書いてあった。その領収書とは手漉きの白石和紙に木版刷りという味わい深いものだという。白石(しろいし)は宮城県南部、蔵王の南麓に位置する城下町で、小説「樅の木は残った」や特産の温麺(うーめん)で知られているが、古くからの手漉きの和紙も知られている。お土産にこの白石和紙の便箋セットや葉書がよく売られていた。 この白石を足がかりに、遠刈田(とおがった)、野治郎(やじろう)などという、こけし造りの集落に行くことが出来る。代々こけしを造っている人達が集まって住んでいる不思議な集落である。

 じつは、「ほや」のお代わりをすると、同じくこの手漉きの白石和紙に木版刷りの「表彰状」がもらえたのである。初めての人が「ほや」を旨いとお代わりをするのというのは感心であるというのであった。私は、これが欲しくてお代わりをしたのではないが、この表彰状をもらってしまった。

 この「炉ばた」は道楽商売の郷土自慢というか鷹揚な店で、客もその土着の味わいや風情に浸りにくるようで、亭主の郷土史の講釈などを聞きながら神妙に飲んでいる。
 ここで、「ほや」というものを初めて食べたのであった。そのときの「ほや」は、連れて行ってくれた人が言うところによると、「初心者向き」に“まてに”(叮嚀に、こまごまと)手が加えてあって、きゅうりなども添えられて酢の物になっており一見「赤貝の酢の物」のように見えた。
 連れが、これを一切れ食べてすぐ酒を飲んでみろと言う。最初は恐る恐る食べてみると「ほや」の味は、さしてこれといった味とは言えないほどのもので、かすかな磯の香りと貝類のような食感があった。それに、「ほや」には貝類に無い一種のあのスパイスのハッカに似た味があって、新鮮な「ほや」は飲み込んだあと口中に爽やかな清涼感が残る。
 連れが、すぐに酒を飲めと教えたのは、この清涼感の残っているうちに酒を含むと酒が数倍旨いというのである。

 昭和四十年代、仙台では町の魚屋で普通に「ほや」を売っていたが、三つで五十円というところだった。ラーメンが六、七十円くらいの時代だった。
 「あーら、しもちゃん、ほやさ食べるすか」と寮の小母さんが喜んでしまい、ある日「ほや」を買ってきてくれて食べ方を実演伝授してくれた。
 「ほや」には角のような一対の隆起した部分があるが、この二つの突起を切り落とし、その穴と穴の間に包丁を入れて一文字に切り、さらに大きく引きちぎる。中味を引き出して僅かな黒いワタのような物を取り除き一口でほおばる。 (物の本には、ワタはとらなくても良いと書いてあるが) そして、すぐ追っかけて酒を流し込むのである。
 この作業は、大き目の丼の中で行なうのが望ましい。「ほや」の殻の中にはたっぷりの水が蓄えられていて、通はこの水を珍重するからである。「ほや」を一通り味わったあと締めにこの水を飲むのである。
 磯の香りと特有のハッカの清涼感が口中に広がるのだが、そこですかさず酒を飲む。このときの酒がなんとも旨い、身のときよりもさらに酒が旨い気がする。
 うに、いくら、このわた、からすみ、めふん、と酒の肴に上々のものは、いずれも磯臭さと僅かな生臭さを有するが、この「ほや」の水はそれらをまことにバランス良く持っていて、なお且つあのハッカ的清涼感がプラスされているのである。
 この水は「ほや」の一体何なのだろうか。分泌物か、それともただの薄まった海水なのか。
 じつは、「ほや」の角のように見える部分は、海水を取り込んだり排出したりする器官であって、貝類で言えば水管のようなもの。「ほや」を強く握るとこの部分から水が出てくるもので、握って水が出ないようでは、だいぶ鮮度のおちた「ほや」である。
 最近、都会でも「ほや」が売られているのを見かけることがある。やれ懐かしやと手にとって見ると、ずい分お痩せになっていて見る影もない。肝心の水が抜けてしまっていて干し柿状態である。これではちょっと食指が動かない。新鮮な「ほや」は、丸くはちきれそうで、大き目のソフトボールくらいある。殻も艶々している。

 仙台では「どんこ」という魚も、よく食べさせられた。鯵ほどの大きさで鰻のように丸味のある、トロリとしたコラーゲン質の魚で、東北流にこってりと甘辛に煮付けた物はどうしてどうしてなかなか旨い物であったが、当時地元では下魚扱いで、特に子供たちはおかずに出てくると嫌がったらしい。
 「どんこ」は深海に棲む魚なので、引き揚げられると浮き袋が口から飛び出すのである。その姿で魚屋の店先にずらりと並んでいるのだから、子供は気味悪がって食べないのだろう。
 「どんこ舌出せ鼻なめろ」などという歌をよく子供たちが唄っていた。その「どんこ」もいまや高級魚となってしまっているらしい。
 「どんこ」も東北地方で覚えた魚であるが、鮫もこの時代に良く並んでいた魚で、それも、1メートル近い大きなものが、皮を剥がれて丸のまま並んでいてぎょっとする。さすがにこれは寮でも出てこなかったし、どんな風に食べるのかは分らなかった。
 仙台では、魚屋で魚を店頭で焼いて売っていた。今では各地でよく見かけるが、当時はちょっとした土地の風物詩的光景だった。
 「仙ちょん」などと言う言葉があって、私もその「仙ちょん」だったのだが、仙台チョンガーのことで、仙台には単身赴任や学生が多く、魚を焼いて売るというようなサービスがあったのだろう。
 めし屋も多く、安い飲み屋にも不自由しなかったし、いい町だった。
 「めしの半田屋」などという有名な定食屋チェーンがあって、ご飯の盛りが良いのが評判で、学生や若いサラリーマンでいつも一杯だった。めし(ライス)は、小、普通、中、大とあって「大」には注釈がついており、「大はとても無理、中でたくさん」とあった。

 仙台から遠く飛んでしまうが、ついでに思い出すのは「ワケ」という食材。
 福岡県の柳川で「うなぎのせいろ蒸し」を食べに、沖ノ端という地区に行ったときのこと。
 この辺りは北原白秋の生家などがあり柳川観光の中心で、有名な「若松屋」など鰻を出す店も多い。
 そのときその辺りの魚屋に「ワケ」という物がごく普通に売られていたのだが、この「ワケ」の実態は「いそぎんちゃく」で、聞いてみるとこれを酢の物にしたり味噌汁に入れたりして食べるのだという。さらに、「ワケ」とは、土地の漁師言葉から出た名前で、「ワケのスンのス」の略らしい。「ワケのスンのス」とは「ワケ(幼児)のスン(尻)のス(芯、穴)」だという。いやはや凄い物を食べるものだと思った。

 話を「ほや」に戻すと、この「ほや」は乾燥して、烏賊をするめにするように、「乾燥ほや」というものにして酒の肴、乾きものとして売っていてこれがまた旨い。駅の売店などにも並んでいるごく普通の酒の肴だった。ちゃんとあの磯臭さやほんのりした生臭さが残っていて上々の味である。さすがにあのハッカの清涼感はなくなっているが、するめ、干だら、たたみイワシ、こまいなど他の乾きものよりはよっぽど酒の肴に向いている。
 「ほや」の塩辛というのもあって、これはそのハカ臭まで残っていて、その上に味が濃縮され強烈な個性を発揮する代物になっている。「ほや」を好む人でもこの塩辛はどうもと言う人もいる。

 さらに、この塩辛に「このわた」を加えたものがあって、「莫久来(ばくらい)」と言う。「ばくらい」とはどういう意味かというと、これが「爆雷」で、「ほや」の外観が機雷に似ているところからこう呼ばれるようになったらしい。それなら、純粋な「ほや」の塩辛のほうを「ばくらい」と呼ぶべきではないかと思うのだが、早い者勝ちで先にそう呼んでしまったほうに決まったらしい。

 「ほや」に「このわた」である、さぞかし珍味臭ムンムンの珍味だと思えるが、残念ながらこれはまだ食べたことは無い。

 まあそのうち食べてみよう、と思っているうち本社へ転勤になってしまった。(完)

 
塩釜の漁港で見かけた「ホヤ」  (2015年4月)

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