<旅がらす四人衆四たび結集>
小田高11期の常任幹事佐々木洋さんがWEB11の「素晴らしきミニ・マイクロ同窓会」(2014年10月2日)で触れた通り11期の佐々木洋、望月郁文(3年生時はともに3組)、中澤秀夫、水口幸治、山本哲照(同7組、以下我々については敬称を省略)は在学中から親交を結び、大学を出て社会人になってからもずっと変わらぬ友情を育んできました。なお、7組にはもう一人藤井暉生さんがいましたが彼は2016年10月22日鬼籍に入ってしまいました。
5人のうち望月は最近まで曹洞宗・宝安寺の住職を務め、今でも社会福祉法人宝安寺社会事業部の理事長を務めていますが、他の4人は2000年には勤めていた会社を定年退職し、2001年にはカナダ・アメリカ、2007年にはイギリス・フランス・スイス、2012年にはタイを4人で連れ立って旅してきました。いつの間にかつけられた呼び名が「旅がらす4人衆」です。この連中がこのたびいわきを起点に「福島」を旅するために四たび結集することになりました。本稿ではこの一泊二日の旅をお話したいと思います。
<佐々木がいわき訪問を提案>
佐々木はずっと藤沢市辻堂の家に住み、そこから東京の会社に通っていましたが、2000年頃から奥さんの実家であるいわき市で生活し始めました。私(山本)は2002年10月に福島県の磐梯熱海温泉で会合があり、会合後いわきを訪れてその夜は彼の家に泊めてもらい、翌日彼の車で塩屋崎・小名浜港、木戸川などを案内してもらったことがあります。他のものは誰も今まで行ったことはありません。
この度佐々木が生活拠点は辻堂とすることに決めていわきの家は処分することになり、私たちに「一度いわきに来ないか?」と誘ってくれました。余談ですが我々5人は皆パソコンを使っていて普段でも毎日のようにEメールで連絡を取り合っています。2017年12月23日のメールで彼が提案し、中澤・水口・山本もすぐにそれに賛同して「旅がらす四人集」は四たび結集することになりました。佐々木の考えは「花見シーズンにいわきを拠点として福島県中通り・会津地区まで駆け回る」というものでした。佐々木以外の参加者からは東日本大震災とそれに伴う原発被災の跡地見学などの希望も出ましたが、一泊二日ではとても無理だと判明、今回は桜の名所見物を主眼にして佐々木に計画をお任せしました。日程については当初(2018年3月25日頃)4月17日(火)、18日(水)で決まりました。
<桜前線の急上昇で日程変更>
ところが皆さんご存知の通り今年の日本列島の桜前線は異常にスピードが速く、福島も例外ではありませんでした。平年より2週間も早いという新聞報道を見ていわきで気をもんでいた佐々木から「日程を早められないか」という緊急メールが発信されました(2018年4月5日)。急きょメールが飛び交い翌日には1週間早めて10日(火)、11日(水)とすることに全員が同意、佐々木が予約してくれた「ホテル塩屋崎」の予約も変更できました。また今回原発被災地の富岡町を訪れることにし、同町の住民で現在は他の町で暮らしておられる佐々木夫妻のご友人江尻ヒロ子さんが富岡を案内してくださることになっていましたが、江尻さんも日程変更を承知してくださったということでした。
<佐々木のたてた計画>
10日(火) 熱海と小田原を出発した水口・中澤・山本は東海道新幹線・常磐線を乗り継いで10時過ぎにJRいわき駅に着く。佐々木宅で昼食後、江尻夫人と合流。以後は佐々木の車に我々4名が同乗。富岡訪問までは佐々木夫人が江尻夫人の車に乗って同行。富岡の後は塩屋崎へ行き、美空ひばりの歌碑や映画「喜びも悲しみも幾年月」の歌碑。塩屋崎灯台を見学。この日は「ホテル塩屋崎」に投宿。
11日(水) 佐々木の車で三春の滝桜・会津若松の鶴ヶ城・飯盛山を訪れて夕方JR会津若松駅で佐々木と別れ、我々3名は磐越西線で郡山へ。郡山から東北新幹線・東海道新幹線経由で小田原と熱海に帰着。
<いわきから富岡町へ>
10日(火)午前7時過ぎ東海道新幹線の車内で水口・中澤・山本が合流。電車を乗り継いで10時過ぎにJR常磐線のいわきに到着。出迎えた佐々木の車で彼の家に向かいます。彼の家では奥さんが朝から大車輪の活躍で昼食を用意して待っていてくれました。食卓には我々3名がぜひ食べてみたいと要求を出しておいたいわきの地魚「メヒカリ」のから揚げと「どんこ」の煮付けが並び、みんなで「うまい」「うまい」と頂きました。これらの魚はメールの中ではどこかの食堂かホテルの料理で食べたいなどと言っていたのですが、時間的余裕がなく無理ではないかということで落着していました。ところがどうしても我々に食べて欲しかった佐々木が奥さんに頼み込んで自分の家で昼食に出すことにしてくれたのです。
食後今日の案内役江尻ヒロ子さんと落ち合い、富岡町へ向かいました。江尻さんは原発事故で住み慣れた富岡町を追われ、現在も家に帰ることができずにいます。先ず常磐線の富岡駅に行きました。海辺に近いところにある富岡駅は改修が終り駅舎は見違えるほどきれいになっています。現在竜田~富岡間で運転が再開され一日に何本かの電車が発着しているということです。特別に駅員に頼んでホームに入らせてもらいましたが、人影の全くない駅周辺に原発事故の恐ろしさを実感しました。
その後富岡町の「夜ノ森桜並木」に向かいました。有名なこの桜のトンネルは現在ほぼ真ん中あたりで区切られ、一方は依然として放射能の数値が高く立ち入り禁止になっています。但し期待していた桜は満開の時期を過ぎほとんどが葉桜となっていました。そして現在は暮らすことができない江尻夫人の住まいに案内していただきました。閑静な住宅街でしたが今は人影のない「死の街」そのものでした。江尻さんの心境を察すると言葉もありませんでした。