ちょっと発表



私の身体管理と運動履歴 Part2
~座右の銘は「継続は力なり」~

2018.05.4   7組 山本哲照

この「小田原高等学校11期」(通称WEB11)というウェブサイトは以前「小田高11期通信」という名で運営されていました。私はこの第4号(2009年10月1日発行)に「私の身体管理と運動履歴~座右の銘は「継続は力なり」~」という駄文を投稿しました。あれから9年が経ち私の運動環境もそれなりの変化と進化がありました。今回はその辺の経緯や私自身の身体状況などをお話ししてみたいと思います。

<ジョギングを始める前は>
「11期通信」で述べたジョギングを始める前の私の状況についてお話ししておきます。私が大学卒業後就職したのは「日刊工業新聞社」(東京都千代田区飯田町)で最初に配属されたのは「神奈川支社」(横浜市中区、1964年)でした。この頃から日頃の運動習慣が大事であるという認識は常に私の頭にありましたが、適当な場所が見つからず無為に過ごしました。しかし1968年3月横浜駅東口に「スカイビル」というレジャー施設がオープンしました。現在の「横浜スカイビル」は1996年に建て替えられた二代目です。初代スカイビルにはスポーツジムが開設されました。今となっては記憶があいまいですが、確かいろいろなレッスンを行うスタジオなどはなく、主にマシンを使った筋トレをする施設だったように思います。スタッフが会員に体に負荷を課すトレーニングをしてくれることもあります。私はすぐに入会し週に三日くらい終業後に通いました。小田高11期生の石井敬士さんは城山中学校3年の時私と同じクラスで席も近く親しくしていました。石井さんは当時神奈川県の職員で横浜市中区にあった県立図書館に勤めていましたが、私が勧誘してこのジムに入会してきました。ところが初日にスタッフの情け容赦ないしごきに会い、途中で石井さんが「気持ち悪い」と吐き気を訴える事態になりました。すぐにトレーニングは中止されましたが、石井さんはそのまま退会されました。私はそのままそのジムに通って筋トレを続けましたが、翌年(1969年)3月東京本社に異動したのでジム通いはわずか10か月ほどで中断されました。皇居一周のジョギングを始めたのは1974年ですからジム通いが中断してから5年余りの月日が経過したことになります。以下の章で「11期通信」で述べた2009年10月以降のことをお話することにします。

<新設フィットネスジム「フォービー」に入会
2010年4月1日(木)小田原市お堀端通りのナックビル6階にフィットネスジム「フォービー」が新設オープンしました。私は7年半通った「ダイドー・スポーツ・クラブ」を退会して「フォービー」に入会しました。最初は平日会員でした。土日祝日を除く平日の10時から18時まで利用できます。初日の4月1日は木曜日でこのジムの休館日でしたがオープン初日ということでスタジオレッスンは特別プログラムで実施され、翌2日(金)からレギュラーのスタジオレッスンが行われました。私はこの日の「エアロビクス・エクササイズ」に出ましたが、なんとこのレッスンの受講者は私の他は初心者の女性が二人だけ。都合3人しかいませんでした。このレッスンの女性インストラクターは現在(2018年6月)でも同じレッスンを続けておられますが、今でもこの初回のレッスンの状況について私と話をします。「3人しかいないのでこの先続けられるのかほんとに心配しました。エアロの経験者も山本さんだけだったし・・」それでも翌週からは徐々に受講者も増えて何とか様になってきました。このレッスンに限らずスタジオレッスンに出る人はそれほど多くなく、狭いスタジオでしたが隣の人と接触する心配はない状態がしばらく続きました。最初のうちは月火水金と全部出てどんなレッスンなのか見極めてから、月曜日は休み、火水金の週三日通いました。内容はエアロビクス・エクササイズとステップ・エクササイズなどのスタジオレッスンが一日に2本か1本、マシンを使った筋トレが8種類、エアロバイクを1時間漕ぐ、というものです。

<再びダイドースポーツへ>
ところがフォービーに入会して数か月経った頃、体重が増え下腹部が出始めました。何が原因なのか空っぽの頭をひねって考えましたがどうもわかりません。ダイドーに通っていたころと比べてどこが違うのかというとジムに通う方法くらいしか思い浮かびません。フォービーには自宅から行きは25分、帰りは30分くらい歩いて通います。ダイドーへは自転車で片道30分往復では1時間全力で漕いで通いました。もしかしたらこれが原因かもしれないと思いフォービーは10か月で退会、2011年3月ダイドーに再入会しました。以前と同じく火水金の週三日通いましたがこの頃は三日ともエアロビクス・エクササイズやステップのレッスンとピラティスのレッスンがあり、その他に筋トレとエアロバイクもあり、やっと元に戻ったような気がしていました。ところが思いがけない事情でこの環境を続けることが困難になりました。
私には4歳年下の妹がいましたがこの妹が2011年4月に急逝してしまったのです。妹は兄の私と同じ独身で開成町のマンションで税理士の仕事をしながら一人暮らしでした。他に身寄りと言えば姉ともう一人妹がいますが、もちろん二人とも結婚して家庭を持っています。 死んだ妹の死後の処理即ち役所への届け出や税理士の顧客への連絡、預貯金や負債の有無など、すべて私が処理する役目を引き受けることになりました。 2011年5月はこれらの処理に忙殺され、ダイドースポーツにほとんど行けなくなってしまいました。

<ダイドーとフォービーの両方に通う>
フォービーなら自宅から歩いて往復できるし、平日会員ではなく正会員なら休館日以外はいつでも利用できるので悩んだあげく2011年6月ダイドーに籍を残したままフォービーにも入会しました。妹の死後処理がほぼ片付いたのは結局9月下旬でした。それからは火水金の午前中はダイドーでスタジオレッスン、午後はフォービーで筋トレとエアロバイクという生活を続けました。こんなやり方を選んだ一番大きな理由は私がダイドーのスタジオレッスンの「エアロビクス・エクササイズ」と「マットピラティス」が好きだったからです。もともとダイドーに入会したのはエアロをやりたかったからで、2002年10月に入会してからずっとエアロのレッスンには出ていました。ところがこの頃から全国的な傾向としてフィットネスジムでのエアロのレッスンが無くなり始めました。ジムの客寄せとして地味なエアロは敬遠され、ヒップホップやシェイプパンプ、ズンバなどの若者向けのレッスンが増え、エアロが減らされたのです。結局私が出られるスタジオレッスンは水曜午前のエアロと金曜午前のピラティスの二つだけになってしまいました。この二つだけのレッスンのために月1万円の会費を払い、鴨宮まで自転車で往復するのはどう考えても割が合いません。それまでのレッスンで特に親しくなったエアロとピラティスの二人の美人インストラクターに事情を話し、足掛け13年間お世話になったダイドー・スポーツ・クラブを2014年8月末で退会しました。因みにこの二人とは当時からパソコンやケータイのメールで情報交換をしていましたが、現在でもLINEで時々トークをしています。

 <スタジオレッスンはやめて筋トレとエアロバイクに専念
こうして2014年9月から火曜日はエアロとステップと筋トレ・エアロバイク、水曜日は筋トレとエアロバイク、金曜日はエアロのスタジオレッスンと筋トレ・エロバイク、というプログラムの生活が始まりました。ところが2015年5月左足に帯状疱疹を発症、完治するのに2か月かかりました。その間両足の筋力が衰え、普段の歩行中も道路のちょっとした出っ張りに足を取られてふらつくという状況になりました。こういう状態でスタジオレッスンに出て、レッスン中に転んだりした時に、自分がケガするのは仕方がないがほかの人にけがをさせることがあるかもしれないと考えるようになりました。悩んだあげく、2016年8月末をもってすべてのスタジオレッスンに参加する事をやめました。それからは筋トレ30分、エアロバイク1時間、ストレッチ30分というプログラムで続けることにし、日火水金の週四日行くことにしました。このトレーニング方式になって現在(2018年6月10日)も続けています。
思えば1974年10月に皇居一周のジョギングを始めて以来、43年余の歳月が経過しました。この間ジョギングがウォーキングになりスポーツジムに入会して有酸素運動(エアロビクス・エクササイズ)、ピラティス、ヨガなどの体幹強化運動、筋力トレーニングなど運動を継続して続けてきました。私が77歳を超えた今となっても医者知らずの丈夫な身体を維持しているのは、ひとえにこの運動習慣のおかげではないかと思っています。今回は2009年以降の運動習慣について述べましたが、この間交通事故や階段転落、原因不明の足の痛み、体重増と下腹部のせり出しなどいろいろありました。それについては稿を改めて述べることにしてこの辺で擱筆とさせていただきます。



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