人形町の一角に風情ある白壁に沿って昼時お目当ての “玉ひでの親子丼” 目当てにいつも長蛇の列ができるが、宝暦10年(1760)学者肌の10代将軍徳川家治が即位し、田沼意次が台頭してきた頃、御鷹匠の家に生まれた山田鐡右衛門が将軍家の御鷹匠仕事 の傍ら、妻たまと共に現在の人形町三丁目に当たる地に屋号「玉鐡」と称して軍鶏専門の店を創業したのが始まりである。
「御鷹匠仕事」とは “将軍家の御前で鶴を切る厳議(?)に由来する格式の高い包丁さばきであり、締めた鳥の血を見せることなく直ちに骨と身に取り分け、肉に手を触れずに薄く切る練達の秘宝である” と言われており、嘉永時代の名物店番付「江戸五高昇薫」にも鳥料理五店に選ばれ、明治8年(1875)には「東京牛肉しゃも流行見世」の番付に載るなど、昔も今も超有名店であり、行列のお目当てである親子丼であるが、明治20年頃鳥すきの締めた肉と割下を卵でとじて、ご飯と共に食されたお客がおり、これを“親子煮”と称していたが、明治24年に五代目山田秀吉の妻“とく”が、この親子煮を食べやすくする為にご飯の上に乗せて一品料理としたのが、我が国初の「親子丼」で、お出前として兜町、日本橋魚河岸を中心に宣伝され、全国に広まったといい、明治30年に五代目の秀吉が“玉てつの秀さん”とお客さんに人気となり、明治31年の毎日新聞による料理店の人気投票の番付に「玉秀」と投票されて以来、「玉ひで」の屋号となった。
親子丼が有名であるが、割下で食べる「すき焼き」も現在の飲食店としては日本最古であり、その割下ですき焼きにした「軍鶏鍋」は絶品であり、昼の親子丼はそぼろ親子丼(1,300円)、元祖親子丼(1,500円)、白レバ親子丼(2,000円)、極(きわめ)親子丼 (2,000円)があるが、私は現役時代に昼の親子丼は30~60分も待つことが出来ず食べておらず、夜のコースでの軍鶏鍋は美味しかったのを覚えている。
現八代目が熟成軍鶏を使った「熟成軍鶏しゃぶ」も人気のようであるが、先ごろ昼の親子丼を試みてみたが、“元祖親子丼”を待っている間に食券を買わされ、31分後に食したが、軍鶏の2種類の肉の親子丼であったが、通常の鳥の親子丼との違いが私には判らなかったが、短時間に大量のお客をさばくのに、流れ作業のように合理的なシステムに成っていて、何の風情も余裕もないことに、歴史が泣いている感じであった。 玉ひでから人形町通りに出て、右折して水天宮(再建中)の方向に100m程に甘味処初音に付く。
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