ちょっと発表



                                     2019.05.01 4組 山崎 泰
   2018年世界一周クルーズに参加して その7

<編者注>寄稿いただいた原稿はA4で22ページの分量があるため、分割掲載いたします。

 『ナッソー(バハマ)』:カリブ海の楽園バハマは、穏やかな気候から「永遠の6月の島」と呼ばれ、世界のクルーズ客船を含めて年間300万人もの観光客が訪れる一大リゾートであり、車の左側通行や郵便ポストに英国統治の面影を残しながらも、町はトロピカルムードにあふれ、客船ターミナルのすぐ前に宝飾店、お上産屋などが集まる目抜き通りになっており、ナッソーの観光名所でありヤシの葉(ストロー)で作られ立帽子やかごにバスケット、Tシャツなどが売られている“ストローマーケット’が目に入り、その場で木彫の動物や人形を彫っている人が何人もおり、同じ彫り物の値段がそれぞれ異なっていたのが面白かったことと、町のあちこちにラム酒とラムケーキの店かおり、それらをお土産に買ってきた。
 午後にはナッソー半日観光に出かけ、1793年、統治者であったイギリス大提督ダンモアが海賊からの防衛のために建造された砦で、1790年代に奴隷たちにより作られ、崖を削った2m程の狭い階段を100段ほど登るとすぐにツインキャッスル砦があり、給水塔と灯台が隣接しており、二の砦からの眺めが素晴らしく、設置してある昔の大砲を6人がかりで向きを変えている外国人がいた。
 中央郵便局やガバメントハウスを車窓より見物し、海水浴している人がおり、コバルトブルーの海を見渡すウェスタン・エスプラナーデの海辺が綺麗で遠方に港を建設する際にかき出された砂を使ってつくられた人工島のアラワクキーが見え、またその港に停泊している飛鳥Ⅱと飛鳥Ⅱの2~3倍の大きさの外国船3隻が停泊している光景は圧巻でした。
 そこを後にしてバハマ唯一一の動物園のアーダストラ・万一テンスに着き、みずみずしい
熱帯植物が生い茂る敷地内にカリブや南アメリカの貴重な動物たちが飼育されており、バハマの国鳥であるフラミンゴのショーが人気で、そのショーの中に観光客が一緒になって戯れることが出来、園内には自由に放たれているフラミンゴや白クジャクや普通のクジャクもおり、一緒にカメラに収まってくれるのも楽しかった。
 その後はラム酒の製造工場を見学した後に、20人ほどの人数に分かれてのバス観光であるが、観光ルートに無いパラダイスアイランドに運転手さんが案内してくれて、高級なアトランティスホテルやその近くに停泊している小型クルーザーの多さが目についた。
 ナッソーからカルタに向かう途中のジャマイカ近くのカリブ海に水藻の帯が延々と続いているのが目に入り圧巻であった。

 『カルタヘナ(コロンビア)』:コロンビアは南米大陸北端に位置し、南米では唯一太平洋、大西洋の両方に面しており、カルタヘナはカリブ海に面しており、年間を通じて多くの客船が寄港するコロンビアきっての観光地とのこと、16世紀に入植したスペイン人によって建設された港町で、交通の要衝として発展した一方で海賊の激しい攻撃を受けていた歴史を持ち、この街の人々は堅固な城壁と城砦を築き、街を守り、その当時の町並みがそのまま残るカルタヘナ旧市内は、世界遺産に登録されており、カルタヘナ旧市内はバスが入れない細い路地が入り組んでおり、情緒ある観光%車が目についたが、カルタヘナ半日観光に出かけることとし、まずポパの丘に着くと標高187mの小高い丘で、ここがカルタヘナ市内の最高地点であり、カルタヘナが一望出来、1606年に建てられた修道院が残り、金箔等で装飾された祭壇があった。
 その後世界遺産である旧市内を見学するが、南米各地で採れた金、銀、宝石などが集ま り繁栄しその富を狙う海賊から街を守るための城壁が街を囲っており、往fの美しい建造 物群が多くのこっていた。 その後に、アメリカ大陸最大級の要塞の一一つと言われるサン・フェリペ要塞で工536 年に着工、17世紀に規模が拡大し、内部は複雑な迷路になっており、敵をおびき寄せた後で攻撃をする仕組みだそうで、中には入れず外観からの見学となり、そのあとにカラフルな壁が続く建物に、お土産などの店がはいっている民芸品市場の「ラス・ボペダス」に着くが、ここに18世紀に建造され、嘗ては武器庫やスペイン統治下で駐屯地として使われていたと言い、世界総生産出量の約6割を占めると言われているコロンビア産エメラルド(現在日本に輸入されるエメラルドの大半がコロンビア産である)や世界有数のコーヒー生産国で、よく知られているエメラルドマウンテンはコロンビアコーヒーの中でも3%に満たない高級豆や、その他にもアクセサリーや民芸品が売っており、目の保養になったが滅多に手に入らないエメラルドマウンテンを奮発してお土産に買ってきた。
 港の飛鳥Ⅱに帰るには港に隣接するお上産屋を通過しなければならないが、その店の庭にも南米の珍しい多数の鳥類やフラミンゴ、クジャクが放鳥されていた。

 いよいよパナマ運河であるが、パナマ運河防波堤を6月8日午前7時に通過し、午前9時に3閘門のガツン閘門に入り、両サイドに3両ずつ計6両の牽引車両で引かれるが、飛鳥Ⅱの船腹との差が両サイド各々50cm位であり、途中一度船尾が接触して大揺れしたが、 10時30分に通過しガツン湖に入り、15時30分ごろ建設中の斜張り橋であるセンテナリオ橋を通過し、2番目の閘門である1閘門のペドロミゲル閘門を16時に入門し30分で通過し、17時30分に3番目の2閘門であるミラフローレス閘門入門するが、 その途中にパナマ運河通行の船と閘門の開閉を見学する見学専門用建物があり、各国から 来た見学者が手を振っていた。
 その後はバランスドアーチのアメリカ橋を通過してパナマ運河の出口であるバルボアを 19時30分に通過して太平洋に出ました。

  『プエルトケッツアル(グアテマラ)』:6月11日に停泊と同時に第一目的である[マ チュピチュ遺跡とナスカの地上絵]の6泊7日のオプショナルツアーに出かけることとなり、10時40分にバスでグアテマラシテエイのラ・アウラ空港へ着古パナマシティへ、 パナマで乗り換えリマに向かうが、先に述べたように乱気流事件にあったが、当日の半日 は病院で過ごすこととなり、海上に突き出たレストランの昼食より合流し、その後個人で 収集したラファエル・ラルゴ・ハーラの博物館に向かったが、博物館の周りは南米の素晴らしく綺麗な花に囲まれ、中は古いインカの焼き物や中には男女の性交を表した器のコーナーかあり、古い織物や衣服と中でも金装飾の冠やネックレスが見事であった。
 そのあとに「恋人たちの公園」に着いたが、公園の真ん中に大きな男女のキスしている 焼き物像があり、その横で結婚式を済ませたばかりと思える男女が堂々とキスをしていたのにほほえましかった。
 6月13日:リマよりバスで4時間ばかり走って、ナスカ地上絵遊覧飛行の某地である ピスコに着き、セスナ機1機に10人が体重のバランスを考慮され席が決められて着席し、 離陸したが、飛行機に乗りなれていると思う私ですらいつ落ちてもおかしくない程の急旋 回の連続で写真撮影のチャンスが合わない程でした。
 広大な砂漠に描かれた地上絵はコンドルやサルなどの全長100m以上の大きさの絵が
約30点と数10kmに渡る直線が300本もあるとのことで、紀元100~800年頃にナスカ地方で栄えた文明によって描かれたと言われているが、真相は未だ謎のようである。
 リマに帰ってからの夕食はインか遺跡の中にある素敵なレストランで、遺跡のライトアップとの料理は素晴らしかった。
 6月14日:リマ空港から航空機で標高3、400mのクスコに向かい、空港から小型 バスで展望列車のあるオリヤンタイタンボに向かい、途中で聖なる谷ウルバンバで昼食し て、アンデス山脈の山々を見物し、峠にはクスコの古典衣装を着てアルパカを連れた少女 や、一つの山が塩田で白い山があり、岩塩ではなく隆起した海の海水がしみ出して塩田を 作っていろとのこと、そこで出来た塩をお土産に購入した。
 高山病対策として標高の高いクスコには宿泊せず、オリヤンタイタンボより展望列車ビスタドーム603号に乗車してマチュピチュ村に向かい、雪山や緑の草原を川の渓谷に沿って1時間半ほどで到着して、渓谷沿いの村のスマック・マチュピチュホテルにチェックインした。
 6月15日:標高2,280mの山上にある都市遺跡のマチュピチュに向かい、遺跡の 至る所に段々畑が広がり、こんなところによくぞ作ったものだと感心し、西の市街区には 神殿や宮殿が設けられ、中には日時計があり、広大な石積の構造物にインカ帝国の高度な建築技術を見せられた。
 マチュピチュはアンデス山脈地域のケチュア語で「年老いた峰」を表す「machu pikcha」 が語源とされていてえ、山裾からは見えず[空中都市]と言われ、15世紀に建設されスペインに 占領されるまでの80年あまりの命であったとのことであることにも驚かされ、遺跡の中 に数匹のリャマが放畜されていて人懐こさが可愛かった。
 191 1年7月にアメリカの探検家のハイラム・ビンガムが古いインカ時代の道路を探検していた時に発見したとのことで100年ほど前のこととされている。
 マチュピチュ遺跡の入り口にあるレストランで昼食をとっているとき外の道路に何匹も の犬が寝そべっており、犬も酸素不足かと勝手に想像して面白がっている自分でした。
 午後はマチュピチュ村に戻り村の散策をし、道端に大きな岩に色々な彫刻がなされてお り、マチュピチュの英雄の像や土産物店を見物して楽しんだ。
 6月16日:高山病対策のためのマチュピチュ村での2泊に別れをし、マチュピチュ駅 から再び展望列車のエクスペンション72号でクスコのオリヤンタイタンボに着き、市内 のレストランで昼食をして、インカ帝国の首都であったクスコには小型バス市内観光する が、妻を含めて大半の人が酸素ボンベを必要とし、息子が私にと“食べる酸素”の錠剤を 渡されたが、私はボンベも酸素錠剤も全く必要としなかったが、妻は酸素ボンベ3本と酸 素錠剤のほとんどを使っていました。
 市内はスペイン植民地時代の趣のあるヨーロッパ建築とインカ帝国の中心地として繁栄した痕跡が残る町並みはどこを眺めても絵になる。
 アルマス広場に着くと大勢の人々が集まっており、100年の歳月を費いやして建てられた「カテドラル」でルネッサンス様式のカトリック教会の横に、大きなテレビモニターがあり、ペルーとどこかの国とのワールドサッカーの試合の真最中であり、ほとんどの人がペルーのユニホームを着て応援をしていたが、ペルーは南米で最下位の5番目でめったがそれでもワールドサッカーランキングは20位で日本よりけるかに上位であるが、残念ながら負けると、高校生ぐらいの学生らしき人々の男女大勢でペルーの踊りと思われる踊りを道路いっぱいに踊り出したのであり、何とも微笑ましく思えるシーンであった。
 ハトウジルミョク通りにカミソリの刃一枚も通さないと言われるほどの石垣かあり、中でも12角形の石はパワースポットでありインカ帝国時代の建築技術の素晴らしさが垣間見える。
 その後、クスコ空港からリマ空港に到着し、夜中にアメリカ・ダラスへ向かい翌朝ダラスでアメリカ入国手続きしサンディエゴに向かい、6月17日にサンディエゴに着き市内の観光となり、ダウンタウンから橋を渡った先にあるリゾートのコロナド島に建つホテルで、1888年の開業以来政財界の著名人や映画スターに愛され、エジソンの電球をホテルとして初めて採用し、エジソン自ら電気配線工事を指揮したことでも有名で、王冠のシャンデリアの素晴らしい「ホテル・デル・コロナド」で昼食をし、一週間ぶりに飛鳥Ⅱに到着しました。
 実は小生の誕生日が6月16日であり、一日遅れの17日に飛鳥Ⅱでの誕生会を乗船以来の友人を含め10人で盛大に祝ってもらい、飛鳥Ⅱからはワールドクルーズ記念の飾り大皿を贈呈され楽しい一夜を過ごしました。



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