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 夜明けの素チャット
2015.03.28  佐々木 洋


 Part -2-  地震、雷、火事、戦争
 
 いつものように少し早目にラジオ体操の会場(城内小学校跡地)に行ってみますと、総指揮官の梅津さんの周りに人の輪ができています。すぐさま「ああ、今日は3月11日」と思いついて駆け寄ってみますと、案の定、4年前の東北大震災で亡くなった方々に対して黙祷がささげられているところでした。慌てて帽子を取って黙祷の輪に加わり、続いて梅津さんのハーモニカ演奏によって行われた「花は咲く」と「ふるさと」の合唱にも声を合わせました。春まだ浅い早朝に、♪花は花は花は咲く♪と被災地の復興に思いを馳せ、♪うさぎ追いしかの山♪と望郷の思いを込めて歌われる歌声には、ひときわ胸打たれるものがあり荘厳な気持ちになりました。

 さて、ラジオ体操が済んでからの「ガスト」での朝食会のチャット・アワー。「ところで、昨日(3月10日)は東京大空襲70周年の日だったけど同じように黙祷捧げたの?」という私の質問からシがサに転換して震災(シんさい)談義が戦災(セんさい)談議に変わりました。「いいえ昨日は、東京大空襲の犠牲者追悼なんてやらなかったわ。だって、梅津さんは終戦の時まだ日本に帰って来られていなかったんだし…」、「あ、そうか。ロシア拘留から戻られたのは東京大空襲よりずっと後のことだったっけ(*)。」と受けてこれに、空襲のことなんか大方の日本人は忘れちゃってるしね」と付け足したところで、“元少女”たちの気炎が挙がってしまいました。
(*)「梅津さんの戦争体験を聴いて」http://odako11.net/kyounowadai/sensoutoheiwa.htmlによると、昭和23年6月。

 先ず私の正面から「空襲の怖さが忘れられるわけがないでしょ。私なんか、上空がB29の通り道になっている伊勢志摩に住んでいたから、来る日も来る日もB29の機影に怯えてばかり。」と杉村友恵さん。友恵さん、この日は何故か、大して歳が違わないのに、ことごとに「あんたなんか若いから知らないだろうけど」と付け加えます。これも一種の“年齢ハラスメント”なのでしょうか。そしてこれに、私のことを“何も分かっていないヤツ”思ってか、私とコウさんのそれぞれの隣席に座した“元少女”たちが「そうよ、怖かったわ。小田原にだって空襲があったんだから。もう戦争なんてコリゴリよ。」と“唱和”します。たまりかねて私も「あのねえ、僕にだって空襲の記憶があるんですよ。3軒隣の同級生の女の子なんて焼夷弾で片足を失っているくらいなんだから。」と“抵抗”して、辛うじて“戦争コリゴリ組”の仲間入りをさせてもらいました。

 ここでまた、丁度70年前の東京大空襲でアメリカ軍による無差別攻撃によって10万人もの命が奪われたのに“怒り”を表そうとしない日本人についてのチャットが始まります。「中国人の皆さんが“南京大虐殺”などと言って日本に対する恨みを忘れていないのに、原爆の被害なども受けているのにアメリカに対して怒ろうとしない日本人はちょっとヘンなんじゃないかしら。」という“日本人変人論”が出るかとおもうと、“現役少女”だった頃を思い出しながらの、「アメリカの駐留軍の兵隊さんからチョコレートなんかもらってアメリカ人が好きになっちゃったせいかしら。」という“唯物論”が交わされます。「そう言えば、アメリカからララ物資(*)などももらっていたし、逆に、日本兵が中国人の子供にお菓子をあげたり救援物資を提供したという話は聞いたことがないもんなあ」と一時はこの“唯物論”が“判定勝ち”を収めそうな形勢でした・
(*)「ララ物資」とは LARA ; Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団体)のことで「日本向けの援助物資」という意味だそうです。「夜明けの素チャット」のお陰で、私にとっては「70年ぶりの真相解明」となりました。

 しかし、一同「人間はパンのみに生きるにあらず」というテツガク的な思いにメザメタのかどうか、「やっぱり、太平洋戦争の場合には日本が真珠湾攻撃をして仕掛けた戦争だから、反撃の報いを受けても仕方ないという気持ちが日本人の“心”の中にあるんじゃないかしら。」という半信半疑ならぬ“半心半物”論がでてひとまずは決着という雰囲気になりましたが、「でも、戦争を仕掛けた側のエライ人たちは、あまりひどい戦災にあっていないのに、何の戦争責任もない一般国民が原爆や空爆で命を落としているのだから不公平ね。」というワダカマリ感が後に残りました。“戦争コリゴリ派”が女性に多くて、男性に少ないのは、ひょっとすると、「お上の言いなりになる」という事大主義が男性の方に色濃く残っているために、男性の方からの“ノーモア戦争”の声が聞こえにくいのかもしれません。

 男性の「お上の言いなりになる」という風潮は家庭内でも定着してきており、かつて「奥」に控えていた「カミさん」が亭主よりも前面に出るようになり、これとともにコワイ存在であった「オヤジ」も権限を失って「優しいお父さん」ばかりが目立つようになってしまいました。シの方(震災)は忘れた頃にやってくる天災で避けがたいものですが、セの方(戦災)は世界の国々が、平和憲法を擁する日本に見習って「不戦」の誓いをしさえすればすぐにでも避けられる人災です。「地震、雷、火事、オヤジ」のオヤジの代わりに「戦争」を加え「地震、雷、火事、戦争」として、警戒をすることを決して忘れないよう代々語り継いでいきたいものだと思います。

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