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 8月15日に思うこと

2014.08.20 4組 今道周雄


1.お盆
 今年もお盆がやってきた。母が亡くなってから32年、父が亡くなってから27年になる。8月15日には菩提寺の僧が読経に来てくださる。事前に仏壇を清め、花や果物を備え、当日は香炉に炭をくべ、御出でになるのを待つ。
姉が存命中は、前日から盆提灯を飾り迎え火を焚き真菰を敷いて、キュウリの馬、茄子の牛なども飾ったものだ。最近はすべて省略している。
 お坊様は最初住職が来てくださっていたが、10年ほど前から老齢のため息子のお坊様が読経して下さるようになった。だがその御坊も最近目が悪くなり、位牌の文字が遠くからでは見えないため、手に取って戒名を読んでくださるのだが金泥が薄くなり判読に苦労をされている。  我が家は娘二人で、他家に嫁いでしまったから跡取りは居ない。いつかこのお盆行事は止めざるを得ず、位牌と墓をどうするか悩ましい。

2.戒名
 戒名は成仏するために与えられる法名のこと出そうだが、俗世に生きているものにとっては悩ましい。母の死後4文字の戒名を頂き、白木の位牌にそれを書いて通夜の席に出したところ叔母をはじめ2—3の縁者が騒ぎだした。代々院号付きの戒名を頂いていたのに4文字とは怪しからん、何とかしろというのである。
貧乏サラリーマンに難しい要求をすると思ったが、余りの剣幕に負けてご住職にお願いにあがった。幸いお付き合いの古いご住職であったから、窮状を汲んで院号付きの戒名を下さった。
 最近はWikipediaに戒名の相場が公示されている。しかし、32年前はそんなものはなく、貧乏サラリーマンが出せる最大の金額でおおさめ頂いた。だが、後々まで借金をしたような後味の悪さが残っている。  自分も家内も戒名を頂くのはやめ、俗名で葬って頂こうかと思っている。お寺へのお礼は読経代として志を差し上げ、戒名を商品のごとく頂戴するのは止めにしようと思う。

3.敗戦の日
 8月15日は終戦記念日と言うが、内実は「敗戦の日」である。300万人余りの同胞が死に、周辺諸国の犠牲者も数百万に上る。敗戦と同時に戦勝国が結成した東京国際裁判が行われ、「戦犯」が裁かれ刑を宣告された。それ以後毎年のように、A級戦犯と断罪された人がまつられた靖国を閣僚が参拝した事、が外交問題として取り上げられる。参拝する閣僚の心底には、東京裁判は戦勝国の行った裁判であり、A級戦犯といえども罪はないという思いがある。
 私自身、国際戦争裁判というものは恣意的で、戦勝者が勝手に裁判するものだと思っている。極東軍事裁判条例第5条「戦争犯罪規定」を当てはめるなら「平和に対する罪」「人道に対する罪」を犯した国で米国の右に出るものはないだろうと思っている。
 だがそれはさておき、日本国民は自国の嘗ての指導者を、自ら告発し裁く必要があると私は思う。それを行わない限り、いつまでたっても靖国問題を他人の所為にして、閣僚は平然と靖国詣でを続けるだろう。
 私は、敗戦後手足を失ったり、盲目になったりした傷痍軍人が白衣を着て恵みを乞う姿を見た。父母親類を失い上野駅まえに群がる浮浪児を見た。あるいは米国兵士が列車の中で、女性を抱え淫らな行為に及ぶのを見た。夫や息子を失った伯母が、悲嘆にくれるのを見た。私が小学校に入学した時は満足な教科書、ノート、鉛筆もなかった。日本をこのような悲惨な事態に導いた責任を誰が担うべきか。  日本国民はもう一度昭和20年に立ち戻り、自国と周辺国を悲惨な状態に導いた当時の国家の指導者を告発し、自らそれらの人々を裁いて、その結果を自らの判断として抱いてゆかなければ、今後何世紀経とうと今と同じ事が繰り返されるではないかと思う。

4.70周年
 来年は70回目の「終戦記念日」とお盆を迎える。果たして来年は現状から一歩でも先に進む事が出来るだろうか。お盆の支度も、戒名の悩みも、靖国参拝のゴタゴタも、多分何一つ変わらないのだろう。  いや、変わってしまい、秘密保護法のもとで書く事が禁じられ、集団的自衛権の名の下に、自衛隊が西紗諸島や尖閣諸島で中国軍と対峙する、と言った事態になるなら、変わらない方がよほどましなのかもしれない。



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