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  「日本の未来が心配」(超高齢化社会と原発ゼロ社会
 2014.01.05    4組 太田 充


 −1− 超高齢化社会を迎えた現実

 総務省の2013年9月16日の発表では、高齢化率は年々上昇し、65歳以上の人口が3186万人に達したとのこと。4人に1人が高齢者です。またテレビでは、認知症の患者も462万人に達し、軽度認知障害者400万人ほどを足し合わせると大変な数になります。これで日本の社会が維持できるのでしょうか。

 酒匂にある「いそしぎ」で、たまたま小田原市長との対話集会に出くわしたことがあります。その折、「老人福祉への予算をもっと増やしてもらいたい」との意見が出されました。恐らく戦後のひもじい時代を過ごしてきたと思われる年配の方からの発言でした。当時と比べれば現在の社会が天国とも思われる時代に生きて、なお更なる老人福祉の充実を主張する発言に、駄々をこねる幼児の姿をダブらせてしまいました。「小欲知足」を知らない社会の風潮に暗い気持ちになります。


 −2− 反原発へのうねり

 話が違いますが、今から2年半ほど前に「小田高ホームカミングデー」で、福島の原子力発電所の事故と放射線について講演する機会がありました。その折、聴衆の一人から、今後の原子力発電の行く末についての質問がありました。「ここ暫くは原発稼動は難しいでしょう。ただし、米国や中国、インドなど世界の国々が原子力時代を迎える姿を見れば、日本も5年後、10年後には再度原子力の時代を迎えているでしょう」と回答しました。

 震災後、2年9ヶ月を経た現在、社会派、良識派と云われる方々は反原発を主張して止みません。「危険な原発が無くても電力は足りているではないか」と。今も15万人ほどの人たちが借り上げ住宅や仮説住宅で避難生活を送っていますが、その避難者の心情を推し量れば、反原発の気持ちも理解できます。


 −3− 原子力発電の安全性

 これまで原子力推進派の中には、「原子力は安全です」と言い切る方々が見受けられます。これには全面的には賛意しかねます。人々は、原子力には100%の安全を求めているので、事故が起これば、「原子力が安全だなんて、ウソっぱちだ」と考え、反原発を指向します。

 例えば電気出力100万キロワットの原子力発電所を考えて見ましょう。そこでは核分裂で約300万キロワットの熱を1年間出力できるウラン燃料が設置されています。一般の方々には想像を絶するエネルギー源のかたまりです。それだけを考えれば危険そのものですが、これまで長年に亘って培ってきた科学技術で、これを安全に制御しながら運転してきました。

 原子力の安全は、鉄道や新幹線、飛行機やロケットと同じように考えたらよいと思います。時速300キロメートルで走る新幹線が本当に脱線しないのだろうか。事実、一般の鉄道路線である福知山線で事故が発生し、107名の方々が死亡し、562名の方々が負傷しているではないか。300トンほどの飛行機が本当に墜落しないのだろうか。事実、御巣鷹山事故では520名の乗員、乗客が死亡しているではないか。スペース・シャトル、チャレンジャー号の爆発事故も然りです。

 このような事故を経験しながら科学技術は発展してきました。一般の方々は、100%事故は起きないと確信して鉄道や飛行機を利用しているわけではなく、危険性と利便性のバランスを勘案して利用しているわけです。同じ感性が原子力に対しても必要です。

 昨年、あるフォーラムで原発の技術者と女子大生との討論を聞いたことがあります。技術者が「世の中には100%安全なものは存在しないのです」と言えば、「どうして安全でない原発を稼動するのか」と女子大生が切り返す。討論は最後まで歯車かみ合わずに終了しました。過去に同じような経験が私にもありました。  私が勤務していた研究所で、屋外に置かれた大型のコンデンサーが火を吹き、所員が消火器、消火栓を使って鎮火しました。町の消防車が駆けつけたときには、鎮火の確認をするだけでした。
 
 その火災と今後の対策を町の議会で報告した折、複数の議員から「絶対大丈夫なものにしてほしい」「100%安全なものにしてほしい」との発言がありました。その発言に対し「100%安全とか絶対大丈夫などということは世の中には存在しません。私がそのような発言をしたら、技術者仲間から太田はウソつきと信用されなくなってしまいます」と回答したところ、間髪を入れずに、本来中立であるべき議長から「それでは、そのリスクを住民に負わせる気か!」との強い叱責の言葉が浴びせられました。予定の時間を大幅に超えて議長と私との間で議論しあったことを思い出します。
 日本では、交通事故で年に4千人以上の人が亡くなり、100万人近くの人々が負傷する自動車には何の恐怖心も抱かない人が、今回の原発事故で放射線で亡くなった人が1人もいなくとも、原子力だけには100%の安全を求める現象はどこから来るのでしょうか。

 これは、何も日本に限った話だけではありません。経済協力開発機構・原子力機関の報告では、米国で婦人有権者同盟の会員と大学生を対象に30項目の中で「最も危険なものは何か」というアンケート調査を行ったところ、両者とも原子力発電が第1位であったといいます。30項目の中には、米国で年間3万人以上の死者を数える自動車や銃が含まれているにも拘らずです。  なお、同時に行われたビジネスマンへのアンケートでは、原子力は中位のランクでした。


 −4− 原発ゼロの社会

 現在、日本では稼動している原子炉はありません。その結果どのようなことが起こっているのでしょうか。
 国際環境経済研究所の報告によると、日本の貿易収支は2011年、31年ぶりに赤字に転じ、2012年には6.9兆円に拡大しました。原発停止に伴って燃料費が2012年には3.1兆円の増になり、2013年には3.8兆円の増と推定されています。これに伴い、電力会社が電気料金の値上げ申請を行っていることは皆様ご存知の通りです。
 大企業は外国に工場を移転することは出来ますが、中小企業は死活問題にもなり、経済が停滞して、若い人たちも路頭に迷いかねません。
 地球温暖化の面からも考えてみましょう。
 1997年に採択された京都議定書では、日本は1990年の炭酸ガス排出量に対し、2008年~2012年の間に6%減らすことを約束しています。炭酸ガス排出は一時増加しましたが、2010年には1990年の排出量まで減少させました。しかし、大震災後の2011年には3.6%増、2012年には9.3%増になりました。
  100万キロワットの火力発電所を1年間稼動させますと600万トンの炭酸ガスを排出します。これを原子力発電所に置き換えれば炭酸ガス年間排出量を0.5%ほど低減できます。このため、資源エネルギー庁が2010年6月に作成したエネルギー基本計画では、2020年までに九基の原子炉を新設し、2030年までに14基を増設することにより、原子力で総発電量の53%を賄うことが謳われていました。
 原発ゼロの社会では、地球温暖化はどのようになっていくのでしょか。
 最近、地球温暖化によると思われる異状気象で、超大型台風の発生や頻発するゲリラ豪雨の被害により、人命まで失われています。さらに心配なことは、米国やオーストラリア、東アフリカなどで見られた干ばつによる農作物の深刻な被害です。これからは穀物戦争の勃発まで心配しなければなりません。

 これらに考えを巡らすと、原発ゼロの社会は現実的なのでしょうか。


 −5− 子孫に負の遺産を残すな

 反原発の方々は「子孫に負の遺産を残すな」と主張します。負の遺産とは、原子炉燃料棒の燃えカスである高レベル放射性廃棄物のことをいいます。ウランは核分裂して膨大なエネルギーを生み出す際、様々な放射性物質をも生み出します。この燃えカスである放射性物質の放射能がウラン鉱石のレベルまで減衰するのに数万年かかります。そのため、この高レベル放射性廃棄物をガラスで固めて、ステンレス製容器に入れ、地下300mほどのところで保管する方式が提案されています。日本の総発電量の3割を原子力でまかなうとすると、年間発生するガラス固化体の容積は100立方メートルほどといわれており、石炭火力で発生する石炭灰に比べ、桁違いに少ないのですが、なかなか国民の理解は得られていません。「誰が数万年後までその安全性を保障するのか」「トイレなきマンションではないか」というわけです。
 これに対して、「限りある石油を我々の時代に使い尽くし、子孫に残さないことこそが負の遺産ではないか」と反論する意見もあります。採掘可能な石油埋蔵量は1兆バレルで、今のまま採掘し続ければ40年、50年で枯渇してしまうというわけです。

 先ほど「原発ゼロの社会」で議論したように、負の一面だけ見るのではなく、多面的に考察し、バランス感覚で判断していただきたいものです。


 −6− 放射線の人体に対する影響

 放射線の人体に対する影響については、小田高のホームカミングデーでの講演会で詳しくお話しました。
 「放射線は、原子爆弾のように一瞬にして大量の放射線を浴びれば危険だが、長い時間をかけて少しずつ放射線を浴びるのであれば、危険なものではなく、かえって身体にいいですよ」という考え方もあることを記すに留めます。ラジウム温泉を代表例とする「ホルミシス効果」です。


 −7− 終わりに

 このたび小田高WEB11ネットを管理している吉田さんから、「数行でもいいから」と、新年賀詞の投稿を依頼されました。
 そこで書き始めてみると、これから直面するであろう「超高齢化社会」、問題化している「原発ゼロの社会」に思いつくままに、とりとめもなく筆を進めてしまいました。

 これからも日本の繁栄が続くことを願って筆を置きます。

         
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