年寄りのつぶやき・主張等
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 政事談義
2016.06.15

常任幹事 4組 太田 充

 私が保守主義者であることを伝え聞いたWeb11編集担当の吉田さんから、再三再四に亘り私の政治信条を投稿してほしい旨の依頼を受けてきましたが、「そのうちに」「OHCD講演会が終わってから」と曖昧な返事をしてきました。というのも、我々の歳になりますと人の話を聞いただけでまず考え方を変える方はおりません。
 例えば安全保障の集団的自衛権について「戦争防止法案」と考える人々に斯く斯く然々と「戦争法案」である旨を話したところで考えを変える人はいません。また逆のケースでも同じです。しかし、「OHCD講演会が終わってから」と回答した手前、投稿しないのは信義にもとるとの思いから文章を綴ってみました。

 これに先立ちWeb11に投稿された吉田さんの主張を読ませていただきましたが、驚いたことに私が常々考えていることが文章化されていました。それも私の上っ面の考えとは異なりデーターをベースにして深く掘り下げた論調です。

 このため私の投稿は不要と考えたのですが、投稿しないのは吉田さんに対して礼を逸することとの思いから一文を認めました。


 村山元総理の、自衛隊違憲論から合憲論への変節

 今でも記憶に残っているのは社会党の自衛隊違憲論から合憲論への変節です。1994年6月29日、自社さ連立政権が発足し、村山内閣がスタートしました。その折、村山氏は「自衛隊合憲」「日米安保堅持」を表明したわけです。これには驚きました。それまで社会党の党是とも言われた「自衛隊違憲」をひっくり返したからです。
 この変節は、総理の座欲しさにいとも簡単にそれまで主張してきた違憲論を捨て合憲論に鞍替えしたと言われても仕方のない姿です。これには人間の品性、品格のかけらも見当たりません。「これまで主張してきた違憲論は誤りで、その責任を取ってすべての役職を辞退し一兵卒として汗を流します」といえば少しは救いようがあったものをと考えるのは私だけでしょうか。

 当時、このような人物、政党は遅かれ早かれ消え去るものと予測したのですが、村山氏は今もマスメディアに登場していますし、社会党も名前を社会民主党と変えて今も政党として残っています。これを許すのは日本人の寛容の精神から来るものでしょうか。


 自衛隊や集団安保法制の合憲性

 これまで自衛隊や集団安保法制の違憲、合憲は司法の場でも争われてきましたが、司法は、「国家の安全は司法だけで判断できる問題ではない」とのことで憲法解釈を容認しています。

 これからも自衛隊や安保法制の「合憲」「違憲」の論争が蒸し返されるのであれば、憲法を改正して明確な文言で記述し、誰からも疑義のでない、時代に合った新憲法の制定を望みたいものと思っております。

      注:政事とは政治上の事柄・仕事、まつりごと


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