年寄りのつぶやき・主張等


  オリンピック神話に思う

3組 佐々木 洋  2015.12.11

 日韓間24年日中韓44年の“時差

 東芝同期で、サラリーマン生活最後の数年を韓国で過ごした藤沢兄は、「日本と韓国の社会・経済の発展度の違いは、それぞれのオリンピック開催時期程の差がある」と言っていました。ソウルオリンピック開催時(1998年)の韓国の民度は、東京オリンピック開催時(1964年)の日本の民度に等しい、つまり日本と韓国の間には24年間の“時差”があるというのです。私自身も、その後北京と上海を訪れて、日本と中国の間には東京オリンピックと北京オリンピック(2008年)の間の44年程の“時差”があるように感じ、藤沢兄の「オリンピック開催時期時差仮説」が正しいのではないかと思いました。

 オリンピック開催時期の意味するもの
 一般的に言って、ある国がオリンピックの開催国として選ばれるのは、その国の経済に活力があって成長が著しく、世界市場の中の重要な一員となることが国際的に認められる時期に当たることが多いようです。そして、東京オリンピックの際に新幹線が開業したように、オリンピックを機に産業インフラが整備されると、更に経済活動が一層活性化し、経済成長が加速されるのですから、「オリンピック開催時期時差仮説」も満更根拠がないわけではなさそうです。また、経済が発展している時期だからこそ財政が潤沢であってオリンピックを開催するだけの財力があるわけですから、「経済が成長している」(原因)から「オリンピックが開催できる」(結果)であって、「オリンピックを開催すれば経済が好転する」という「オリンピック経済効果神話」は、原因と結果を取り違えた暴論だと言えそうです。

 
期待はずれのブラジル経済
 さて、来年開催される南米大陸初のブラジル・オリンピックが近づいてきました。私は、投機するだけのお金を持ち合わせていないということもありますが、アタリよりハズレの方が圧倒的に多い投機取引を好むものではありません。なけなしのお金をはたいてブラジル国債を買ったのも、投機というよりも安全投資と思ったからのことでした。2014年のサッカーワールドカップに次いで2016年にリオ・デ・ジャネイロ五輪が開かれるのは、まさしく新興経済勢力BRICS(Brazil / Russia / India / China / South Africa)の一角を占めるブラジルの高度経済成長ぶりが国際的に認められたからこそと信じて疑わなかったのです。ところがこのブラジル国債、オリンピック開幕が近付いてきたのにもかかわらず,少しも値上がりすることがないばかりか、逆に、値下がりするばかりです。「オリンピック開催時期時差仮説」の正しさを信じて「そのうちにそのうちに」と念じ続けてきたのですが、ブラジル国債相場は浮揚せぬままオリンピックを迎えることになってしまいそうですそうです。

 BRICS神話”信者の“不経済”学士
 かつての日本と韓国の高度成長の陰には、それぞれ”Japan as No.1” や”Korea as No.1”と称されるほどの高水準の技術開発力がありました。中国も、さすがに最近は息切れしてきましたが、「世界の工場」と称されるほど工業生産力が高まり、それが高度経済成長を支えていました。しかし、ブラジルには、日本や韓国、中国のような内在的な経済成長要因がなかったようです。ブラジルは基本的に、原油などの恵まれた天然資源に依存する国であり、一次産品の輸出の好不調という外在的な要因によって景気が大きく左右されます。実際に、ブラジルの景気が良く、BRICSの一環として世界経済を支えていたのは、2年ほど前までは資源価格が高かったからだったようです。ところが、120ドル前後だった原油の国際相場が昨年から今年にかけて40ドル前後にまで急落するとともに、他の多くの一次産品も価格も下落してしまったのですから、これは多少のオリンピック特需があったとしてもブラジル経済が立ち直ることは望み薄で、逆に財政が逼迫の度を増すのではないかと心配しています。そして、一次産品の価格ダウンの大きな原因は、同じくBRICSの一員で資源の輸入大国である中国の景気減速にあるのだとか。経済学士でありながら、こういった経済事情も分からずに、ひたすら“BRICS神話”を信じていた私は、経済学不在の“アベノーエコノミクス”といい勝負のとんでもない“不経済”学士でした。

 ギリシャのオリンピック悲劇
 2004年アテネ・オリンピックの場合は、オリンピック発祥の地でありながら、第1回(1896年)が開かれたきりで1世紀余も開かれていなかったギリシャに対する同情票が集まって開催が決まったものと思われます。経済のサイクルが成長局面にあったわけでもなく、従って、財政も窮乏状態にあったのですから「オリンピック開催時期時差仮説」が当てはまるわけはなく、ひたすら「オリンピックを開催すれば経済が好転する」という「オリンピック経済効果神話」にすがっていたものと思われます。実際に、開催した結果は案の定で、オリンピック観戦ないし参戦目的の外国人客の到来や、オリンピック関連施設の建設投資などによるオリンピック特需が多少はあったのでしょうが、その程度ではオリンピック開催のための財政支出は賄い切れず、逆に、未曾有の財政破綻に見舞われる結果になってしまいました。

 東京はアテネの二の轍を踏む? 5年後に迫った2020年東京オリンピックも、日本の経済に浮揚の要因が見えず、財政窮乏の状態で開催されるところからすると、アテネ・オリンピックに酷似しているように思えます。おまけに、漠然と「神話」にすがっているだけで、収益向上と経費削減によって「オリンピック経済効果」を極大化しようとする全体計画や体制が何一つできあがっていないように思えます。当初1300億円だった新国立競技場の建築予算が3000億円以上に膨らんでしまっているのにもかかわらず、国民の間で疑問の声が強くなってきてから初めて安倍首相自らが建設計画の再検討を指示するまでは、誰も頓着することなく共同無責任体制で建設が進められようとしていたことから見ても一目瞭然です。仕切り直しした結果、総経費予算は1,581億円程度に縮小されましたが、それでもなお最近のオリンピック開催地のメイン会場建設費(シドニー680億円、アテネ350億円、北京500億円、ロンドン800億円、リオデジャネイロ550億円)に比べると破天荒とも思われるほどの規模であり、“財政窮乏下の日本”のすべきことではないように思えます。


 
オモテナシ(表無し)にならぬよう
 
新国立競技場は氷山の一角であって、それぞれのオリンピック関連公共投資が、1964年東京オリンピック当時の“豊潤財政下の日本”の意識そのままで進められているように思えます。しかも、新国立競技場のような箱モノは、半世紀前に敷設された新幹線とは違って、オリンピック開催後の日本経済を活性化する産業インフラにはなり得ず、逆にその保守運営管理費が財政負担増要因になるだけです。これからの日本の財政は、安倍首相が米国議会で声高らかに自衛力強化をうたいあげてスタンディング・オベーションを受けた手前、また、強行採決の結果決めた集団的自衛権を実際に行使できるようにするためにも、これまでにも増した格段の防衛費拡大をせざるを得なくなってきています。これに加えて野放図なオリンピック関連財政支出が行われるのですから、ギリシャのように“五輪をもってご臨終”といったような財政破綻とまではいかないでしょうが、国民の税金負担増や年金支給額などの財政支出削減に皺寄せが及ぶものと覚悟していなければなりません。オリンピックの裏(陰)の部分だけ見て、表(光)を見ようとしないオモテナシ(表無し)の見方のようですが、貧しい家庭で育った身としては、家計に見合わぬ過大投資が家を滅ぼす結果とならぬよう祈りながら、精一杯日本選手の活躍などのオモテの面を楽しもうかと思っています。

 



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