年寄りのつぶやき・主張等




 <盆入り>に思う
2015.08.13  6組 瀬戸章嗣

 
山北の実家に住んでいた弟が逝って5年になる。毎年、盆入りに山北へ行き、寺の墓の草を取り、家で盆飾りをして過ごし、本家へも行って先祖を想い、盆送りをしてから川崎へ帰ることをしてきた。今年は、いつも位牌を持って行って山北でしていた盆飾りをやめて、お墓の草取りをしながら父母弟の霊を迎えに行くつもりで盆入りの日を迎えたが、生憎の雨になったので、草取りは後にして、初めて川崎の家で迎え火を焚くことにした。

 偶々、昨日から来て泊まった孫の中学生に数学の話をして、<乗数>を聞いたところ、習っていると分かったので、<元旦の1円が、毎日2倍になったら、月末の31日にはいくらになるか>、<自分の親は2人だが、10代前の先祖は何人か>と質問を出して、本人が2の掛け算を実際にやってみて、<20億円>と<1024人>となり、びっくりしていたが、先祖については、10代前というのは、平均25歳で子供が生まれたとすると250年前だから、歴史は更に遡って西暦でも2000年前だから、250年が何度回るか聞いたら8回と答えるので、先祖の数を自分で数えてみたらよいと言った。

 昔、どこかのパーティー会場で、誰かが余興で出した質問と同じだが、久しぶりに、自分が今日ある元を訪ねれば、1000人の1000倍が4回でも、1兆人となるから、1000年前の先祖が数の上では1兆人となり、一方で、鎌倉時代の日本の人口が500万人で、鎌倉の当時の人口が10万人という数字があるのを聞き、血がつながる上での地域的制約もあるから、自分に繋がる1000年前の実存した先祖の数は、同じ先祖が何度も繰り返して自分に繋がっている結果として、ずっと少ないと考えるものの、自分が、1兆人以上の人の血を受けていること、更には、2000年での人数は、1兆の1兆倍(=1京)になることだと改めて思ったところです。

 墓参りはしても、仏や霊がいつも墓にいるとは考えず、<千の風になって>の歌のように、大空にいたり、茶の間にいたり、誰かの傍にいたり、或いは、<何もない>のが真実かもしれないと思っている私ですが、血を受け継いだ者として、先祖のお蔭を、時に思い出すことをしていきたいと思ったことでした。
                                   
                                         おわり


          一つ前のページへ