随  筆


音楽映画いくつか
2015.06.01
6組 榮 憲道

 4月中旬、私の住んでいる長久手市文化会館で、オーストリア映画「未完成交響楽」を老妻とともに鑑賞した。主催は《長久手市映像鑑賞会》でこれまで毎月100人先着順・無料で開催されているが、今年度からは会員制になるという。そのプレ上映で、その後のラインアップは「わが谷は緑なりき」「心の旅路」「ジェニーの肖像」「第三の男」「若草物語」「シェーン」などとなっている。大方観ているし、その開催日は私が会員の《長久手カラオケ愛好会》の月例会と重なっているので、来年かさ来年あたりに再考、鞍替えするかと考え始めている。小田原では、たまたま最近知遇を得た《小田原史談会》の会長の平井正氏が大の映画好き(西部劇通)で、同様な映画会を小田急線開成町駅近くで随時開催しておられるようで、興味ある方は一度覗いてみたらいかがだろうか―ー。

 この映画の日本公開は1935年(昭和8年)というから、正に1世紀近くも前のことである。監督はウィリ・フォルスト、フランツ・シューベルトの「交響曲ロ短調第8番」が、失恋によって未完成に終わったという新説をもとに展開する音楽映画で、”楽聖もの”のはしりとも言われる。「菩提樹」「野ばら」「セレナーデ」「アヴェ・マリア」などの名曲をちりばめ、演奏はウイーン・フィル、歌うはウイーン少年合唱団などと豪華な顔ぶれで見応えある作品であった。
 ”音楽”といえば、我が小田高11期のメンバーには、枚挙の暇がない位大勢のミュージシャンや音楽通がおられるようだ。「11期WEB」の編集は音楽のオールラウンド的人間であるし、カンタータという古典派クラシックに魅入られてタクトを振う人や、毎年年賀状代わりにいろんなジャンルの曲をCDにされるフルートの達人。自宅に完全防音室を構え、自在にピアノを奏で、JAZZに夜明けまで傾聴している人・・・とおられるので、汗顔しながらの今回のエッセイであるが、”音楽映画”ということでご放免願いたい。

 さて、数ある音楽映画の中で、私が取り上げたいのは次の三作品である。
 先ずは中学3年生の修学旅行の折、帰路の夜行列車の時間待ちに京都宝塚劇場(多分)で見た「ファンタジア」。小田高の同期生たちもきっと同じ体験をされていると思う。1940年(昭和15年)に、ウォルト・ディズニーがアニメとクラシックの名曲とを融合させた画期的作品で、演奏はレオポルド・ストコフスキー指揮のフィラデルフィア交響楽団。バッハの「トッカータとフーガ」そしてチャイコフスキーの「くるみ割り人形」と続く。旅行の疲れもあって、何か抽象的な画面でうとうとと夢見心地になっていたが、地球創世記から恐竜の盛衰を題材にしたストランヴィンスキーの「春の祭典」から、次第に画面に引き込まれていった。

 そして、ベートーヴェンの「田園」(交響曲第5)。オリンポスの神々の平和な世界が夕闇の訪れに眠りにつき夜のとばりが深々と降りると、悪霊たちの饗宴が始まるムソルグスキーの「禿山の一夜」、そして夜明けを告げる鐘の音に悪霊たちは消え、野辺を歩む礼拝の列にかぶさるシューベルトの清冽な「アヴェ・マリア」の祈りの合唱・・・何回観ても心に沁み入る場面である。

 次は、高校時代(1年の夏か)、小田原中央劇場で観た「愛情物語」(1956)。原題は「Eddy Duchin Story」、1930~1940年代に活躍したアメリカの楽団指揮者でピアニストであったエディ・デューチンの波乱にみちた半生を描いている。監督はジョージ・シドニー、タイロン・パワーがエディ・デューチンを演じ、上流社会の令嬢(キム・ノヴァク)と大恋愛の末結ばれるが、彼女は不幸にして早世、失意のデューチンは息子を残して演奏旅行、更には兵役を志願。父子の関係は断絶寸前となるが、家政婦として息子を育てた女性(ビクトリア・ショー)の献身的な”愛”で、次第に父子の絆を取り戻してゆく・・・。

 そのテーマ音楽で、カーメン・キャバレロが弾いたショパンの「ノクターン変ホ長調作品9の2」。ほの甘いこのメロディは〈To Love Again〉と呼ばれてよく知られるようになり、現在もCMソングとして流れている。同年代には「グレン・ミラー物語」(1954)や「ベニー・グッドマン物語」(1956)などがあり、むしろ”音楽映画”はこちらかも知れないが・・・。大根役者とされているタイロン・パワーの代表作を挙げれば、この「愛情物語」と、ジョン・フォード監督、モーリン・オハラ共演の「長い灰色の線」であろう。この2作はDVDでもなかなかお目にかからないが、いつか再見したいと思っている。 

 そして3作目は、社会人(中年)になって観た「アマデウス」。1984年度のアカデミー賞に11部門がノミネートされ、作品賞・監督賞・主演男優賞など、何と8部門で受賞した。監督はミロ・フォアマン、主演賞は映画の主人公ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトを熱演、全てピアノの演奏も代役なしでこなしたというトム・ハルスではなく、売れっ子の宮廷作曲家で、モーツアルトの才能を誰よりも理解し、それがために嫉妬の鬼と化して毒殺したとされるアントニオ・サリエルを演じたF・マーリー・エイブラハムである。

 ミドル・ネームである”アマデウス”とは「神に愛される」の意らしいが、音楽の才能は正に”神童”。しかし人間的には、わがままで奇矯な言動,「神は二物を与えず」を地にいった人物のようで、それが逆に映画の興趣としていやが上にも引き立たせたようである。

 蛇足かも知れないが,日本映画では、戦後の荒廃した社会に音楽を通して”夢と希望”を届けようと奮闘する群馬交響楽団を描いた、名匠今井正監督、岡田英次・小林桂樹・岸惠子主演の「ここに泉あり」(1955)。そして、24歳で夭折した天才作曲家、滝廉太郎の短い生涯を活写した澤井信一郎監督、風間トオル・鷲尾いさ子主演の「わが愛の譜」(1993)を推して”締め”としたい。                                
                         (完)

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