私は若い頃からこの辺の地域にはとても興味を持っていた。パキスタン北部からタジキスタン、キリギス、そして今回投稿をしていただいた小林さんの活躍したウズベキスタンからトルクメニスタンを経てトルコへ。そしてボスポラス海峡を渡りギリシャ、ブルガリアからヨーロッパへ。
20代後半頃、小田原にアラディン・タイムールという外国人が居た。彼は私より2、3才年上だった。国籍不明で何人かもよくは分からなかったが、今で言う自動車の走り屋のハシリであった私とは直ぐに知り合いになった。彼は日産のZ430というフェアレディーZに当時としては初めてのDOHCを積んだすこぶる早い車に乗っていた。私は同じフェアレディーZであったが、エンジンはただのOHCの2400ccを積んだ240Zというものだった。この当時のスポーツカーは今より軽量であったから、加速や最高速度は今の3000ccを越えるパフォーマンスが得られた。彼は自分の愛車のボンネットに大きな日の丸を描いていた。だから車を変えても常に車体色は白であった。私がその日の丸について問うとこれは古代エジプトの旗だと真面目顔で冗談を言っていた。まあ、一般の日本人は古代エジプトの旗の模様なんて知る筈は無いから。
その後あるとき突然居なくなり、今は何処に行ってしまったか、よく分からない。本人はオスマントルコ系の末裔と自称していたそうだが、良く分からない。私から見るとコーカサス地方の顔立ちに見えたが。KGBかCIAかそれらの関連か。不思議だが人間としては魅力があった。何故か日本人としての常識も日本人以上に有していたからだと思う。
話が横にそれてしまったが、彼とお茶をしているときにこの中央アジアの話になり、私がこの辺を車で行ってみたいと言ったらあの辺はヤバイよと言われた。時間が経つとその意味が段々と分かってきた。小林さんの言う「ムジャヒディン」、その後出てくる「タリバン」その他諸々の武装勢力があの辺には群雄割拠しゴチャゴチャといるのだ。
今行くとすれば、中国西域のウルムチ市(中国語:烏魯木齊市)まで飛行機で行きそこから、アジアハイウェイ第5号でカザフスタンからウズベキスタンに入り、トルクメニスタンに抜けるというコースであろう。まあ、この衰えきった足腰では無理であろうが。
それは兎にも角にも、これらの小林さんのJICAでの活躍は素晴らしいもので、少なくとも日本とウズベキスタン及びその周辺国との親睦が深まり、平和的繋がりが強力に構築出来、世界の平和の一翼を担えるものと確信します。