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憲法9条にノーベル平和賞が!!?

2014.09.02    3組 佐々木 洋


なんだなんだ、この動員力は!  
 おだわら城北9条の会主催の平和憲法学習講演会「憲法9条にノーベル平和賞を!!」を聴きに行ってきました(8/31)。なにぶん、 先日(8/10)小田原お堀端の「音羽プラ―ザ」で開かれた「8月15日を考える会のつどい」で手にしたチラシだけが頼りで、他からは聞いたこともないイベントですので、「ひょっとすると、4-5人しか集まらない寂しいイベントなんじゃないか」と思え参加を躊躇する気持ちがありました。しかし一方では、かつて読んだことのある漫才コンビ爆笑問題の片割れの太田光さんが共著で出している「憲法九条を世界遺産に」 (集英社新書)と一脈通じた発想の“面白さ”と、同じように、趣旨に対する満腔の賛同の意を感じて馳せ参ずることにしたのでした。しかし、会場となった小田原市尊徳記念館(小田急「富水」駅から800m、徒歩13分)視聴覚室が意に反して文字通りの超満席なのでビックリしました。なんだなんだ、この動員力は!!

1940年代生まれ“断層”を実感

 参加者の大方はジジババ揃い。「お前なんかにジジババ呼ばわりされる筋合いはない」と言われてしまいそうですが、よく見ると皆さん“私たちよりチョイ年配”のようですから堂々たるジジババです。そう言えば、配られた九条の会の趣意書「憲法9条、明日をつむぐ」に発起人として名を連ねている皆さんの生年も以下のように“私たちよりチョイ上”で、1940年以降生まれは一人もおりません。「戦争と平和に関する意識については、私たち1940年代生まれの“中途半端な戦争体験しかない世代”が断層になっているのではないか」というかねてからの思いが新たにしました。発起人のうちの何人かは既に鬼籍に入られています。今日ここにお集まりのジジババ様たち、それに、“中途半端な戦争体験しかない世代”もやがて。そんな中で、私たち“断層世代”よりチョイ上のジジババ様たちは、どのように戦争体験を語り継いで、これを平和憲法護持と結び付けていこうとされているのでしょうか。いずれにしても、会場はジジババらしからぬ“若々しい”熱気があふれていて、「平和憲法なんて“バカバカしい”平和ボケ憲法さ」としがちな我々“断層世代”など眼中にもないような様子でした。
  井上ひさし(1934年)  梅原猛(1925年)   大江健三郎(1935年)  奥平康弘(1929年)  小田実(1932年)

    加藤周一(1919年)   澤地久枝(1930年)  鶴見俊輔(1922年)  三木睦子(1917年)

呟きを実行に移したエライ人たち

 この「憲法9条にノーベル平和賞を!!」の動きは、子育てに明け暮れしながらも、自らの外国生活体験や日頃のマスメディア報道を通じて「どこの国の子どもも戦争なんかで泣かせたくない」と切実に願っていた座間市の主婦・鷹巣直美さんが呟いた一言に端を発しているようです。鷹巣さんがエライのは、ただ呟いているだけでなく、ノルウェイ・オスロにあるノーベル賞委員会に対して、日本の憲法9条にノーベル賞を与えるよう、実際にメールでコンタクトされているところです。そして、一個人からの申し出に対して真摯な態度で応じ、「憲法9条自体には人格がないからノーベル賞受賞対象にならない。また、候補として受理するためには然るべき推薦人が必要」と示唆してきたというノーベル賞委員会もエライし、鷹巣さんが個人としての限界を感じて一時怯んだ時に、サポート役として実行委員会を立ち上げられた共同代表カルテットの皆さんも相当にエライと思いました。ノーベル賞委員会の示唆を受けて実行委員会が、受賞対象を「憲法9条(を保持し続けてきた日本国民に)ノーベル平和賞を」と変え、然るべき推薦人を立てて再申請をしたのが功を奏して、この4月にノーベル平和賞候補の一つとして正式にノミネート(受理)されているのだそうです。もっとも、このことはNHKなどでも報道されたそうですから、“知らぬは我一人ばかりなり”であって、この日のイベントが大動員を収めたのはむしろ当然のことだったのかもしれません。


若者たちも進んで署名

 実行委員会共同代表カルテッットの一人として学習講演された竹内康代さんは、少しもババ感を感じさせない明るくて歯切れのよい口調で、「憲法9条にノーベル平和賞を」運動の進行状況について熱い思いをもって語られていました。ノーベル平和賞受理申請に当たって始めた署名活動は広がっていて、既に30万人超の賛同署名がなされており、更に、30kgに及ぶ署名文書の未開梱の梱包が届いているので“重量換算”すると35万人超になるだろうということでした。かくも多くの署名が短時日に集まったのは、「平和憲法」には無頓着な若者でも「ノ―ベル賞」となると乗り出してきて、趣旨説明に耳を傾けて賛同署名に応じるのだそうです。「日本の学園は今http://odako11.net/kokunai/kokunai_sasaki_2.html」にも記したとおり、集団的自衛権行使容認の閣議決定によって平和憲法が危殆に瀕している時期であるのにもかかわらず、キャンパスに学生運動の跡形さえもなくなっているほど学生の政治離れ(ノンポリ化)は進行していますが、「ノーベル賞」とのかね合いで若者たちが、「平和憲法」が世界に類例のない特別なものであるということを認識し直してくれているのは嬉しいことです。


命を産み出す”女性も同調

 竹内康代さんはまた、講演の中で、「私たちは9条を政治の話ではなくて命の話だと思っている」と述べておられました。竹内さんが言われるように、“我が腹を痛めて命を産み出した”母親が、「我が子を戦場に送らない」と切実に思う気持ちを持つのは当然のことであり、若者層と並んで母親層が数多く賛同署名に応じているというのもむべなるかなのように思えます。開演に先立って、おだわら城北9条の会の小林事務局長は「戦争の準備をすれば戦争になり、平和の準備をすれば平和になる」と述べられていましたが、安倍政権による集団的自衛権行使をめぐる動きは、母親層には敏感に「戦争の準備」として察しられているのでしょう。既に母親、あるいは将来母親の女性からの手厳しい反目を受けて、さしも高かった安倍内閣支持率も徐々に下がってきているようです。同じ“断層世代”であっても、母親として健全な反戦感覚を持ち続けている女性軍は、相変わらず「安倍首相はよく頑張っている」などと高く評価しているジジ軍とは別枠なのではないかと思います。なにしろ、“断層世代ジジ”たちには、「最強の軍事力を持つことが最大の戦争抑止力になる」という人類史上持ち続けられてきた“普通の国の通念”を持ち続けていて、人類の歴史を変えようとする高い志の込められた平和憲法を擁する日本の国民であるという自負も誇りも持ち合わせていない輩が多いのですから。講演の中で竹内さんも「武器を持つことが戦争の抑止力にならないことは、アメリカが戦争をし続けていることからも一目瞭然」と述べておられました。


恐怖感のかきたては常套手段

 本日の会場の名前(小田原市尊徳記念館)にも冠されている我が郷土の偉人二宮尊徳も、自らの言「道徳のない経済は犯罪であり、経済のない道徳は夢である」が引き合いに出されて、ここから「経済と道徳は、 平和を脅かす者や環境に対処して、これを封じ込める力(警察力・軍事力)の条件の関係」と結びつける“断層世代”の意見を聞いたらさぞやビックリされることでしょう。「いかなる人もこの世に生をうけ生を保っていられるのは、天と地と人のおかげである。したがってその広大な恩に報いる手段として、人は生ある間、勤勉これ努めねばならぬ」というのが尊徳の主張ですから、戦争の名のもとに殺し合い(“生”の奪い合い)をすることが正当化される軍隊は尊徳曰くの「経済と道徳」と全く相容れないものになるからです。尖閣列島における中国の動きを、あたかも宣戦布告であるかのように喧伝して軍備強化の必要を訴える“断層世代ジジ”も多いのですが、これも軍事力によって“封じ込める”のではなくて正当防衛と緊急避難の場合に限って武力を用いる警察力を行使し続けていけば問題ないはずです。講演の中で、竹内さんも「日本に対して恐怖を与える国はあったとしても戦争を仕掛けてくる国はいない」ときっぱり断言されていました。他国に対する恐怖感や敵対感を高めることによって軍備を拡大し、挙句の果てに自国民を戦場に赴かせて血を流させるというのは、人類史を通じて為政者たちが用いてきた常套手段です。戦争行為には、自国民の流血や戦費の投入などといった大きなリスクが伴います。こんな、天然資源だけでなく、年寄りだらけで人的資源も乏しい日本を相手に大きなリスクを冒してまで戦争を仕掛けてくる国なんてありませんて。


アメリカに“ノーと言えない日本人”
 但し、アメリカが他国に対して戦争を仕掛けた場合に、日本国内にある米国基地が他国からの攻撃の的とされることは覚悟しなくてはなりません。従って、そういうことのないように、アメリカに対して武力行使をしないように仕向けることが同盟国としての日本のとるべき道であるにもかかわらず、尻馬に乗って、アメリカのイラクに対する“大義名分なき武力行使”に対して真っ先に支持の意を表明した小泉純一郎元首相はとんでもない暴挙をしでかしたことになります。私たち“断層世代”には、その昔安保闘争デモで行をともにした人たちも多いのですが、その動機は必ずしも「平和憲法護持」にあったのではないようです。今ではすっかり「日米安全保障条約のもとに、日本はアメリカに守ってもらっている」という考え方になっており、アメリカに対して“ノーと言えない日本人”になり下がってしまっているようです。更には、日本が唯一の原爆被爆国であるにもかかわらず「日本はアメリカの核の傘の下にいる」などという言舌が罷り通っていて、結果的に核兵器の保有を容認しているような形になっているのですから、日本の立場が国際的に軽視されるようになってきているのもやむを得ません。アメリカは自分の利益なしで同盟国を守るような“お人好し国家”ではなくて、アメリカ政治経済圏を“自衛”するために基地を日本に置いているのです。竹内さんは、お膝元の座間米軍基地の諸経費が“思いやり予算”の名のもとに日本財政で賄われていることに対して強い義憤の念を表しておられました。

日本国民は既にアジア平和賞を受賞していた
 竹内康代さんに続いて、同じ共同代表の星野恒雄さんが講演されました。語り口は朴訥としていて気負ったところがなく、それだけ却って説得力のあるお話しでした。なかでも、「日本国民が既にアジア平和賞を受賞している」というお話は、全く初耳であり強いインパクトを感じました。表彰者は、西マレーシヤ(通称マラヤ)の華僑を中心とした市民団体・マラヤ歴史研究会で、日本での「憲法9条にノーベル平和賞を」運動の展開を聞き及んで、いち早く平和憲法を守ってきた日本国民を表彰することに決め、日本国民の代表者を選定するのに迷った挙句、星野さんと同じく共同代表の石垣義昭さんの二人に白羽の矢を立て、今年の夏クアラルンプールで開かれた表彰式に招待したのだそうです。表彰式の際にはマラヤ新聞の記者から、7/1の閣議決定についての意見を求められ、“日本代表”としての二人は返答に窮したようです。世界大戦の際に日本軍から被害を受けた人が数多く住んでいるマラヤの人々は、日本の集団的自衛権行使容認の動きに神経を使っており、「日本国民が平和憲法護憲に頑張ってくれなければ自分たちの身が危なくなる」と考えている様子が垣間見られたというお話しでした。いずれにしても、日本の為政者の動向に疑念を感じながらも、日本の平和憲法を高く評価し、曲がりなりにもそれを護持してきた日本国民に対して敬意を表している人々が海外にいるということが、表彰状受賞の事実とともに、“表彰された日本国民”の間でもっと広く知れ渡ってもよいのではないかと思いました。

初耳の“マラヤ虐殺”に衝撃
 星野さんたちは更にそこで、日本軍によって“マラヤ虐殺”が行われていたということを初めて知って大きな衝撃を受けたそうです。中には、昭和17年、シンガポール陥落に伴って日本軍が進駐してきて村民一同が集められた時に、一人の日本兵が、婦人が抱いている赤子をひったくって空中に抛りあげ、これが待ち構えているもう一人の日本兵の銃剣の上に落ちて赤子が貫かれたという生々しくも惨たらしい話を聞かせてくれたマラヤ人もいたそうです。南京逆説事件や従軍慰安婦問題について、誇大表現であるとか事実誤認であると言って自己弁護する日本人も多くいますが、殺すか殺されるかの限界状況にある戦時にあっては、とかく理性をなくした狂気の業が罷り通りやすくなるのは確かなことなので、そのような事例がゼロであるということを証明できない限りは、無駄な弁護をするのは考えもののような気がします。自国の受けた被害について声高に抗議するのはごく普通のことであって、むしろ、米軍の原爆投下や無差別空爆による“大量虐殺”を受けていながらアメリカに対して抗議らしい抗議もしていない日本人の方が異例なのだという意識を持つ必要があるように思えます。

ネット署名で伝えよう日本人の心
 さて、今年のノーベル平和賞の発表は10月10日。最終審査に間に合うように署名文書は原則として8月31日をもって締め切り、9月9日にノーベル賞委員会宛に発送されるそうですが、ネット署名の方は直接届くので最終審査日(10/9)までに送れば署名件数にカウントされるとのことです。URL(http://chn.ge/1bNX7Hb)で簡単に日本語版ネット署名をすることができます。ご家族をはじめ身近なお知り合いをお誘い合わせの上、雲の上の存在であったノーベル賞に気軽にチャレンジしてみませんか。星野さんは、ご自分の10万人規模の抗議集会に参加された経験に照らして、既に得た署名件数について「30万人とはスゴイ数字だと思う」と述べておられました。確かに、短い期間で30万人超の署名を集めたのはスゴイ実績であり、実行委員会メンバー他関係各位のご努力は称賛に値すると思います。しかし、ノーベル賞委員会からみれば、30万人という数字は1億3千万人の人口の0.2%に過ぎず、集められた署名は「ごく一部の日本人の意見を表したもの」としか見られないのではないかと心配しています。しかし、星野さんも竹内さんも口を揃えて「ノーベル平和賞が授与されるまで署名集め活動を継続して積み上げていく」と力強く述べておられました。

学びたい丸腰で臨むことの大切さ
 竹内さんと星野さんの講演の後の質疑応答・感想・意見交換のセッションで、茅ケ崎から来られていた女性ペアから映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』の上映計画が次のように紹介されました。
    9月27日(土)   ①10:30 ~  ②14:00 ~ ③18:00 ~  前売券 大人1,000円
    茅ケ崎市役所 分庁舎6階コミュニティーホール  問合せ先 falluja0927@yahoo.co.jp
  イラク戦争時、自衛隊撤退を要求するファルージャの武装グループに、人質として拘束された高遠菜穂子さんと今井紀明さんのその後を追ったドキュメンタリー映画だそうです。高遠さんと言えば、ご承知のように、時の小泉首相らの為政者によって、国に迷惑を及ぼしたとして糾弾され、「自己責任」の名のもとにバッシングを受けて、同じ「有名」でもfamousではなくてnotorious(悪名高い)女性に仕立てあげられた人物です。事件後のPTSDを乗り越え、再び「自己責任」のもとにイラクに赴いてたった一人でイラク支援活動を続け世界中に非暴力を訴え続けているという高遠さんも、上記②昼の部と③夜の部には来場され、上映後約40分間のトークをされるそうです。「日本人に見捨てられたあなた方の命を、なぜイラク人は助けたのですか」という問いに対して「丸腰だったからです。私たちが、もし銃を持っていたら、すぐ殺されていました」と答えた高遠菜穂子さんから、“武器による自己防衛”にすがりがちな“女々しい”断層世代の一人として、丸腰で臨むことの“雄々しさ”とともにその大切さを学びたいと思っています。

3000万人署名目指して
 竹内さんは、政治的に利用されることを恐れて、政治家を推薦人から外したと言われていましたが、私は寧ろ大いに政治的にも利用してもらえば良いのではないかと思っています。少なくとも、全国で合計190もの地方自治体議会が安倍政権による集団的自衛権行使容認の閣議決定に「ノー」を突き付けているそうですから、地方自治体議会の議員さん達に署名活動の推進役を果たしていくことはできるはずです。竹内さんはまた、誹謗や中傷の対象となることを恐れて、インターネットを通じての広報活動について消極的になっているとも話されていました。しかし、特に、政治離れしてしまっている若者層に「ノーベル賞」を訴求することによって平和憲法に目を向けてもらうようにするためには情報通信技術(ICT)の活用が必須ですし、あらぬ誹謗や中傷から同調者を守る術はいくらでもあるはずです。竹内さんと星野さんの言を待つまでもなく、平和憲法を守るのはノーベル平和賞ではなくて日本国民自身です。しかし、ノーベル賞委員会も日本国民の総意として認めざるを得ないと考えられる現状と2桁ちがいの3000万人署名を目指す活動の中で、必ずや多くの日本国民が平和憲法を学び直し、その尊さを再認識し、平和憲法を擁する国民として生きる喜びと誇りを感じてくれるようになるはずです。九条の会の活動として位置づけることによって、「憲法9条にノーベル平和賞を!!」の運動が格段の拡大と発展を遂げることを祈るとともに、老骨にして微力ながらできる限りの支援をさせていただきたいと願っています。


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