学生寮の今昔
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豊島区巣鴨の庚申塚にあった豊島寮は、昭和25年6月に開設されています。今回集まったOBは、寮の開設時の大先輩から昭和38年入寮者までの範囲ですから、昭和37年入寮の私などは“最若手”のうちに入ります。最長老の先輩は私とは一回りほど 違うのですから85歳前後になっておられるのですが、なおも元気矍鑠としていて、近況報告アワーで豊島寮の開設当時の苦労話なども披露してくださいました。当時の学生は貧しく、文字通り“食うに困っている”状態だったので、お金がなくても食事にありつける豊島寮食堂が昭和27年12月になって開設された時には、開設に尽力された大先輩たちが寮生一同から大感謝と大感激を受けたそうです。私たちの時期になると、さすがに“食うや食わずや”の状態は脱していましたが、ほとんどの学生はアルバイトなどをして学資稼ぎをしていましたので、生活費ミニマムで済ませられる寮に入れることが大きなメリットで有り難いことになっていました。ところが、経済大国になるのに伴って日本人の生活が豊かになったせいか、学生寮入寮希望者が減ってきたため、この豊島寮ばかりでなく、駒場寮や三鷹寮なども次々と閉鎖されてしまっています。 |
右の写真は、私たちが駒場の教養学部の課程を修了して本郷に進む時に駒場寮の寮室で開かれた「追い出しコンパ」の際に撮ったものです。私たち弓術部の部屋は3室で、1室に6人居住していましたから、「追い出しコンパ」ともなるとこのように賑やかな様相を呈します。“今は亡き駒場寮”ですから、寮室内部の模様の断片が伝わるこの写真も貴重なものとなりましたが、これをご覧になれば、当時の私たちが貧しくても底抜けに明るかったということが分かっていただけるのではないかと思います。
思えば、住宅事情にも恵まれず、大家族世帯が普通であった私たちの世代とは違って、現代の子供たちは、専用の子供部屋が与えられ、家庭内で「個」の時間を過ごすようになっています。 |
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学生寮生活を止めてしまった現在の学生たちは、それぞれ個別に下宿などにこもって、家庭生活と同様に「個」の世界に浸り込んでしまっていて、私たちが寮生活で経験したような、底抜けに明るいオープンな交友関係を享受することができていないのではないでしょうか。 キャンパスに漂っていた寂寥感や“昼なお暗い”感じは、現代の学生たちが身に帯びている寂しさや暗さを映したもののようにも思えます。 |