趣  味 Home




 変態がな” のこと                4組 安藤康正    2012.08.17


 あまり“堅い話“ばかりでは面白くないので今、実施している趣味についてご報告します。今熱中しているのは、800年以上も前の平安時代に「変体がな」で書かれた和歌や詞書(ことばがき)を読み解くことである。まるでパズルを解いているようで楽しい。中国から伝わった「漢字」とそれを崩して簡略化した「ひらがな」、また日本独自で開発した「漢字」の一部を切り取って「カタカナ」とし、これを使って書かれた和歌。まだまだ一音一音に“当て字”を使い、それもひとつではない、複数のバリエーションを持たせて書かれており、濁音“〃”も表記されない和歌を読み解くのはロゼッタストーンを解読するような感覚であろうか。

 現在のような統一された漢字、ひらがな等の使い方ではなく、ミミズがのたくったような柔らかさと丸みを帯びた優しい文字の展開は見ていても心和む。特に伝 紀貫之筆という書は心ひかれる。

 ことの始まりは3年前に新聞に掲載されていた「冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」の記事である。冷泉家の時雨亭文庫内に所蔵されている(紀)貫之集 村雲切(むらくもぎれ)は、変体がなで書かれており貫之の歌、詞書が読めないことと、現在の活字化された書物で示されているものと比較すると少し違いがあることが判った。それを確かめようと東京都美術館で開催されていた上記の展覧会へ出かけてみた。

 新しい発見のひとつが紀友則の「り」という部分(字)が解読できたことである。紀貫之の従兄弟にあたる歌人。「り」はひらがなの「わ」のように書かれている。この1件で「変体がな」と「古今和歌集」への興味が湧いてきた。

 時を同じくしてNHKテレビの“趣味悠々”という番組のひとつで、百人一首を変体がなで書くという講座があり、書の手本とされる高野切の変体文字(古筆)を模写しては百人一首を変体がなで書いては部屋に張って悦に入っている。今はNHKの高校講座でも書道の一環としてかな文字の番組がある。

 昨年平成23年2月には、筑波大学の学生陣が「高野切本古今和歌集」を復元した全卷完成記念展があったそうで、その情報を知らず、見学する機会を失ったが、もとの完全な巻物はいろいろな経歴を経て裁断され、散逸し、個人の茶室や和室の掛け軸として飾られていったのだろう。

 著名な歌人の歌の中に混じって読み人知らずの作品も多々あり、どうやってあの時代に秀歌と評価され、和歌集に採用されたかなど、800年を経た現在の我々が読んでいるのが何か不思議でもある。当時の選者の心の温かさと心の広さを感じる。身分は防人であったか。人の心を打つ歌は1000年近く経ても読まれ、書き伝えられている。

 墨の黒と和紙の白の絶妙なコントラストは、日本文化のよさとでも言おうか。毛筆の“美“は捨てがたいものがある。

          ページのTopへ
          1つ前のページへ