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新春散歩とお墓のハプニング                         6組 瀬戸章嗣  2012.01.13

 この冬一番という寒さの中、今年初めて、近くの県立東高根森林公園までバイクで行き、公園と隣の川崎市緑が丘公園墓地を1時間半ほどかけて、運動不足解消の8000歩を含め、甲斐ある散歩を楽しみました。

 公園の芝生広場の入口に、高さと枝幅3メートルほどの真弓の木があり、それに向かって望遠カメラが3台並んでいるので尋ねてみると、カメラの向かう先に、真弓のほんのり赤い実を啄ばむメジロが見え、いかにも新春を実感しました。

 下の湿性植物園の池に来ると又、じっとカメラを構えている人がいて、その先に、木橋の橋桁から水面を見ているカワセミの、橙の首下と色鮮やかなコバルトブルーの背中を見ることができました。正に水辺の宝石を見る思いでした。

 枯れ落ち葉の山道を登って隣の緑が丘公園墓地も、私にとって気の休まるお気に入りの散歩道です。今日はいろいろな想いの言葉に出遭いました。比較的最近でき、10年経っていない墓地区画を歩きましたが、従来からの普通の「◯ ◯ 家の墓」形式に交じって、「和」「和楽」「憩」「やすらか」「やすらかに」「ありがとう」「感謝」「絆」「家族」「心」「慈」「慈愛」「暖」「愛」「義」「真」「信」「力」「眠」「地眠無果」「永遠」「空」「くつろぎ」「清流」「旅立ち」「うんうん」「俱会一処」等を刻んだ墓が目立ちました。

 言葉が刻んである墓の中には、建立者の苗字が2つあるのもあり、墓にも時代の変化が表れていると思いました。

 お墓に入った人々は、そこに定まって動かないから、墓地は何とも言えない安定感があります。上に挙げたお墓に刻まれた言葉は、墓を建てた人の想いの結晶であると思うと、どれも真実があると思い、共感を感じた次第です。

 一方、自分が死んだら関係ないからと、お墓から気持が離れている若い人が増えていると聞いているのと関係するのか、どういう事情か知らないが荒れたままのお墓も中にはあって、一時のことなのかこのままなのか、眠っている人の気持を想い、これも紛れもない一つの現実だと思ったことでした。

 そんなことを考えながら、お墓から出ようとすると、自転車に乗った巡回員から声を掛けられ、「お声掛をしては失礼かと思い・・・」(多分、しばらく、墓を見て回る私を遠くから監視していたのだと思われる)と、墓参りに来ていた人の誰かが、私を不審者と見て通報していたことを告げられました。

 お墓で不審者になるとは思ったことがなかったので驚いたが、大震災の後、何が起きても不思議がない不安の時代であってみれば、そう感じた人がいたとすれば迷惑を掛けて申し訳なく、いつも来ている散歩道だと説明し、今後は注意するとお詫びをして了解してもらいました。

 とんだハプニングでしたが、これもありと素直に受け容れ、今後は、挙動・服装などに注意しようと、反省した次第です。


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                                      6組 瀬戸章嗣  2011.08.07

 8月1日の私の近況報告を読まれた方から、「(元気そうだが)特別の健康法があったら披露してほしい」とお便りを頂きました。私の返信趣旨に賛同され、又、参考になったので一部やってみるつもり、と聞きましたので、他の仲間にもご参考になれば幸いと、「健康コーナー」で、ご披露したいと思います。 小田高1146が、そういう情報交流の楽しい場になって、役に立てば良いなと思っています。 「健康法は人それぞれで、ほどほどが良いのでは?」
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メールありがとうございました。

 お陰さまで今のところ元気です。でも、私も、それなりに老いております。
うっかり忘れが多いし、ラジオ体操をすると身体が音を立てます。それに、20年以上気管支拡張症という、いわば持病ももっていて、そのお陰もあって、<一病息災>で、生活しています。

 それに対する対処を含めて、自分に合っていると思われることを習慣として実践して、 結果として、今のところは快適な毎日に恵まれているというのが私の元気の実体です。

 従い、私の健康法は、自分には今のところ良さそうですが、他の人に役に立つか、良くない結果をもたらすかわからないものだと思っています。
 いままで、小学校や中学時代の仲間に、健康法の本の紹介はしており、例えば、

① 「120歳まで若さを保つ法」 軽部征夫 朝日出版社 1998年
② 「老けるな」 坪田一男 幻冬舎 2007年
③ 「100歳までボケない101の方法」 白澤卓二 文春新書 2010年

などですが、これらは医学的データを踏まえた専門家が書いていますが、これらを読んだ時、私は、自分の生活習慣の中に、そこに出ていることが概ね、ほとんど入っていると思って、我が意を得たように思いました。

 ただ、それらも、多くは程度もので、定性的にとらえるのでなく、定量的に個々の個人によって適量があると思い、実践しなければ意味がないから、実践するためには、それぞれがそれなりの程度をイメージして、それがその人の健康法として、意識されるわけで、それが個別であるのが適当と思いますので、結局健康法は、人それぞれと考えるのがよいと思っています。

 だから、本の紹介をした後に、「健康法は人それぞれと思う」と、「万事ほどほどがいいと思う」と付けました。
私は、「特別な健康法」というのが、独り歩きすると危ないと思っています。

 健康は、与えられた遺伝的条件や幼い時に身についた習慣や物の考え方、そして、良さそうで、楽しく続けられそうなことを何でも、無意識に、或いは、健康に良いならと気軽に、実行してそれが習慣になっていることのすべての総合のおかげなのではないかと思います。

1.親や先祖からもらった身体と生活の仕方や心のあり方について引き継いでいること。
2.昔の人が長い間の検証の結果  導いて言い伝えていること。
3.最近の新聞や雑誌やラジオ・テレビで紹介される身体によいこと
4.特に長寿に関する、医学的情報記事

それらの総合が、健康をもたらすのではないでしょうか。

でも、今の健康状態をもたらした原因を考える時、或いは関係しているのではないかと 思い、他の人にも参考になるのではないかと、思い当たることを書いてみます。

① 還暦の集まりで、みんなに次の還暦を目指しましょうと呼びかけた。
② 2回目の人生は、小学校・中学校時代の基礎作りと同じ、心と身体作りからが必要 だと思い、それをやってみようと思った。
③ 還暦の時、健康管理ノートを作った。
④ 「健康」というファイルをつくり、新聞や雑誌で健康に関する切り抜きを入れてきた。
⑤ 還暦の時から、気管支拡張症について、毎月医者のチェックが必要と理解して、以来、欠かさず続けている。
⑥ 健康ノートは、診察結果を記録する一方、「食生活」「衣生活」「住生活」「精神管理」「頭脳管理」「睡眠管理」排泄管理」「健康法」「身体の機能強化」「老化への対処」「風邪予防」「咳対策」「体重推移表」「体力年齢」のページをつくり、それらに対する、自分なりの実行対策を少しづつ書いて実行する習慣を持つようにした。
⑦自分への戒めとして、健康の為に生きているのではないと知り、楽しんでやれること だけやればよい、無理はしないで、続けようと思ってきた。そして、結果はすべて受け入れようと思っている。

では。

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