榮(はなぶさ)憲道さんの歌 Home



12月題詠 「小田高同期会に寄す 」      2012.12.05 6組 榮 憲道

・懐かしの高校同期会に顔出せり小田原駅の早雲像の前
・文学館、老欅荘に一夜城、故郷のよさ再確認す
・浜の辺の文学館に事績追う白秋・透谷・尾崎一雄と
・老欅荘は《電力の鬼》の隠処(こもりど)か風雅な茶亭に人柄偲ぶ
・秀吉の城攻めの才思い知る石垣山の類なき俯瞰
・奥湯本のいで湯にまったり老躯(おい)沈め夕陽に染まる秋景を愛(め)ず
・原子力・故郷再生・健康譚、夜の更けるまで談論止むなし
・帰り路は大学の友と車駆り蛭ヶ小島や反射炉巡る
・友と吾の二人で独占《天空の湯》正面鮮らに富士の雪峰
・うたかたの政党浮かび消えてゆく光ありしか日本の未来
一言メモ 12月3日、大腸のポリープを内視鏡で摘出いたしました。最終的な病理検査結果は一週間後ですが、まずは無事新春を迎えられそうです。そしてまた皆さんと会える日を楽しみにしております。

11月題詠 「箱根・春夏秋冬 」      2012.11.01  6組 榮 憲道

・元朝より駅伝漬けの三が日おせち抱えて茶の間に居坐る
・箱根路は我が故郷ぞ若人が想い出揺らし坂登りゆく
・カラフルな熟年ハイカーあまた乗せ登山電車は春の粧(よそお)い
・班雪(はだれ)なす山頂の小屋訪ねゆき〈金時娘〉と和みし日あり
・煙噴く大湧谷は轟轟と地球の鼓動をいまに伝える
・羊腸たる旧街道の石畳に天下の険の足跡たどる
・夏盛り芦ノ湖渡る〈海賊船〉は航跡とどめ緑陰に溶く
・伊豆の海ゆ相模の海をひとまたぎ十国峠に浦風の吹く
      *「ゆ」は古語で「より」という意味です。
・箱根路は乙女峠の名もうれし隧道越えれば姫百合の咲く
・芒揺れハイカーの声こだまする仙石原はすべて秋色(しゅうしょく)
一言メモ 11月28日の4組・6組の同期会に思い切って参加することにしました。箱根湯本ということで、今月は“箱根”を主題の十首、一部は以前に詠んだ歌(多少は推敲ありとしても)も含まれているかも知れませんがご容赦ください。小田原に住んでいた頃には正直“箱根の良さ”は余り意識しませんでしたが、故郷を離れてみるとやはり箱根は素晴らしい場所であることが判りました。改めて当日はよろしくお願い申し上げます。

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10月題詠 「秋、深みゆく 」    2012.10.11  6組 榮 憲道  

・10月に入りてようやく秋の色、台風一過に銀杏拾う
・玄関に人寄せ付けぬ番犬が歳古るにつれ室内犬と化す
・食卓越し足裏(あうら)に足裏重ねいて孫と結べる〈仲良し〉の証
     *同居の女孫は四歳の可愛い盛りです。
・(発表会)にパートや間奏違(たが)えぬよう工夫こらして「歌集」編みおり
     *11月3日が我が「歌曲の会」の発表会です。
・〈iPS〉とう再生医療の扉(と)を開く山中教授にノーベル賞の冠(かん)
・いまさらに腸のポリープ二つ三つ、そろり見直すエンディングノート
     *12月3日に内視鏡摘出手術の予定です。
・秋深み四度目の帰郷あらざるや11月にクラス会あり
一言メモ 9月に少々出しゃばり過ぎたようですので、10月出詠は遠慮するつもりでしたが、「欠詠は駄目」とのHP担当からのお叱りを受け、近詠七首、何とか揃えました。そして11月のクラス会、これまであまり馴染みが無い自分ですが、敢えて”出席”といたしました。お手柔らかにお願い申し上げます。

「ふるさとに同期の友と・・・ 」     2012.09.19  6組 榮 憲道

・息の家の〈お産扱い〉無事済ませ心安けくふるさとに寄る
・ふるさとの父母の墓前に額ずきて孫誕生と近況伝う
・高校の同期四人と待ち合わす小田原駅近くの割烹の屋
・癌患い10キロ痩せし吾が容姿(なり)に面影あらじと友は笑えり
・在学時の交わり浅き仲なれど縁(えにし)いくつか話題は尽きず
・酔うほどに昔話は盛り上がり級友の顔つぎつぎ浮かぶ
・初恋の彼女知りたる友のいてほろ苦き青春(はる)も酒の肴に
・ともどもに古希を過ぎたる老木(おいき)なれば近き再会約して離(さか)る
・日本酒が〈元気の素〉たる弟とさらなる宴は夜の更けるまで
・金太郎の伝説残る峠越え足柄古道に秋を愉しむ
一言メモ この「4・6組HP」の縁から、茨城の息子の家の〈お産扱い〉の帰途、小田原で同期4人との“ノミニュケーション”が実現しました。私の9月3題目の歌に食傷されたかもしれませんが、楽しい一時についつい筆も進んだ次第です。そして翌日は、一人旅の気楽さから、南足柄—地蔵堂・・夕日滝(金太郎が産湯に使った謂れのある滝)―足柄峠(万葉公園)―御殿場インターに出て新東名で帰宅いたしました。
            左から 今道、吉田、月村、榮、米山

小田原で・・・              2012.09.15  6組 榮 憲道  

・「魚河岸」という割烹の舎に五人集う、老いて広がる学友の輪

一言メモ  茨城でお孫さんの誕生を祝ってから名古屋へ帰られる榮さんと小田原在住のクラスメート(今道・月村・米山・吉田)で12日に一杯会を楽しみました。(吉田)

 榮さん「今回は小田原で歓待していただきありがとうございます。正直小田原高校時代は、私にとって”アンタッチャブル”的存在でしたが、この楽しい会合でかなり解けました。いろいろ気を使っていただき本当にありがとうございました。そして、私も”初恋談義”をはじめ、ついつい余分な言葉を語ったような感じで反省しております。今道さんはじめ皆さんによろしく御礼、そして失礼な段のお詫び申し上げます。 」

 

ロンドン五輪、そして孫の誕生       2012.09.13  6組 榮 憲道  

・華やかな五輪花火に幕開く2012年ロンドンの夏
・真夜中の実況ライブはほどほどに<果報は寝て待て>朝に持ち越す
・柔道にサッカー、バレーにレスリング、そして我が家も女子は強きかにしこり
・錦織の88年振りの快挙なるテニスの<8強>は金に劣らず
・1秒の攻防まさに紙一重、太田の剣先逆転を呼ぶ
・鳴り渡る「炎のランナー」のテーマ曲は表彰台の栄光称える
・金・銀・銅、みなそれぞれの重みありロンドン五輪の人生模様かおる
・我の推すヒーロー・ヒロインその極はボルトの余裕と松本薫の気迫
・憂きことの多き世なれば凱旋の銀座パレード歓喜に溢る
・大利根の流れを越えて息の家へ野面渡るは坂東の風
・産院は樫やクヌギの林辺に閑かに在りて母子を育む
・とき<助っ人業>は半月超える長丁場、夏から秋の季のうつりに
・待望のみどり子元気に生まれこし夏まだ盛る八月の尽
・愛子(まなご)撮る息子ビデオに嫁スマホ、アナログ世代の出る幕はなし
・布団干し庭の手入れに孫(五歳)の守り、老爺(ろうや)の仕事もそれなりにある
・渺茫(びょうぼう)たる関八州をひとにらみ筑波嶺(つくばね)凛と蒼天に立つ
・伊那を抜け諏訪湖に憩い八ヶ岳仰ぐ中央高速は新宿目指す
・年数度会うもまれなる外孫と戯れ寝ぬる心おいらか
・息抜きは息子の部屋に溢れおるDVDやCDの山
・我が腕にすがりて眠るみどり子に<強く育てよ>そっと頬寄す
一言メモ  茨城(守谷)の息子から、《お産扱い》の依頼を受けて家を出たのは、8月26日(日)でした。老妻は24日に先行、そして出産は8月31日午後、9月4日に無事退院いたしました。慣れない土地での慣れない生活で、疲労困値いたしましたが、なんとか無事済ませて12日解放されました。

9月題詠 「2012年、それぞれの夏 」    2012.09.01  6組 榮 憲道  

・憂きことの多き世なれば生きること飽くときもあり長き夏の夜
・妻と吾(あ)の胃腸フィルムを較べ見る片や清々片や濁々
・金・銀・銅、みなそれぞれに重みありロンドン五輪の人生模様
・この夏もテレビで我慢の山の旅、きっと登るぞ北穂の小屋に
・紛争の歴史いつまで繰り返すアラブの大地は血潮に荒ぶ
・内外に難問山積波高し〈どじょう内閣〉揺れに揺れおり
・わが姓は絶滅危惧種さはいえど二人目の男孫(まご)常陸に生まる
一言メモ 毎年胃カメラは診てもらっておりますが、大腸は二年ぶり、結局私にはやや大きいポリープありとのことで、年内に切除することになりました。
そして今私は、孫のお産扱いに女房と茨城の息子の家に来ております。

8月題詠 「岩邑吟行 」           2012.08.07  6組 榮 憲道  

・東濃の緑かき分け吟行の歌友(とも)待つ里にクルマ急がす
・岩邑は女城主の里なりき哀史の残影友と踏みしむ
・老いし身は炎暑の〈旧蹟巡り〉より休み処で旨酒を酌む
・松陰ら幕末の志士導きし佐藤一斉の筆(ひつ)軒端(のきば)に掲ぐ
・蒼天に白雲ぽっかり浮かびいて岩村城址は万緑のなか
・戦国の烈しき攻防いくたびか天空の城は夏草に埋(う)む
・歌友(かゆう)との愉しき一日(ひとひ)の別れ途は明智鉄道岩村の駅
一言メモ 岩村(旧・岩邑)は現在は岐阜県に属しておりますが、美濃と尾張と三河と伊那を分ける要衝の地。戦国時代には武田氏と織田氏が領有を争った土地、そして岩村城は標高800メートルの日本一の高城で難攻不落と謳われ、幾多の攻防に曝されたが、さらには政治的に女城主の悲劇を生んだ城としても有名なところです。7月初旬、私の所属する二つの短歌会の合同吟行会が岩村で行われ、その時詠んだ歌を披露いたしました。

7月題詠 「まさかの縁で故郷へ 」      2012.07.04  6組 榮 憲道

・小伊勢屋なる老舗の料亭小田原に在り、嫁ぎし姉の縁に繋がる
・白寿近き女将(おかみ)の従弟とう老紳士にまさかの邂逅(かいこう)尾張の地にて
・〈歌の会〉のとなりに坐るその人は春風駘蕩(たいとう)周囲和(なご)ます
・連れ立ちて小田原目指す六月尽、新東名は万緑のなか
・紫城近く〈御幸(みゆき)の浜〉は指呼(しこ)の間の名代の料亭現代(いま)も盛りぬ
・江戸の代は小田原藩の脇本陣、旧き造りを粋に遺せり
・相模江の自慢の料理に舌鼓、茶寮の夕べ知り人こぞる
・翌日は小田原城に尊徳館、初夏の風受け故郷巡る
・故郷なり、箱根湯本に学友(とも)と話(わ)し尊徳館に幼(と)友(も)と出会えり
・帰り路も新東名をまっしぐら、疲れ吹き飛ぶ思い出乗せて
 
一言メモ 「小伊勢屋」はこの5月、小田高同期会の開催場所、残念ながら私は欠席いたしましたが、私の遠い親戚です。現在96歳の“女将”の従弟という老紳士が、たまたま私が幹事をしております歌の会に入会してまいりました。そして、二人揃って小田原に私の車でこの六月末やってまいりまして、「小伊勢屋」で歓待された次第です。女将はまだまだかくしゃくとされておりました。翌日は私の家(善榮寺)まで案内し、無事に帰りました。
 さらに、この旅行で、9首目の通り、箱根湯本(風祭)で、4組の吉田明夫氏とお茶を共にし、二宮尊徳記念館では、偶然小学校から高校まで一緒の片山幸男氏(1組)と出会いました。

6月題詠 「郡上八幡紀行 」         2012.06.08  6組 榮 憲道

・奥美濃の山峡(やまかい)の道踏み分けて郡上の夏の緑と遊ぶ
・町筋をゆるり歩めば軒先に筆涼やかな短冊揺れる
・刀匠の実演販売に足を止めおもわず買い入る関の孫六
・子供らは競い飛び込む吉田川、高き欄干恐れ気もなく
・夏真昼子らしぶき上げ泳ぎ入る河童棲むとう淵の碧みに
・急峻の山坂一気に駆けのぼる八幡城は夏草のなか
・老妻は麓の杜を逍遥す、広場に一豊の妻の像立てり
・花藻(かも)揺らし鯉やヤマメの群れ泳ぐ井川の水辺涼風(すずかぜ)の過ぐ
・民家より囃子音響く夕まぐれ郡上踊りの季節は近し
・夏の夜を飽かず舞い継ぐ祭あり郡上踊りに人はこぞり来
 
一言メモ 郡上八幡(ぐじょうはちまん)は岐阜県の西部の山奥(いわゆる西濃地方)、東海地方では高山とともに“小京都”として有名です。そして、夏中を彩る《郡上踊り》は私もまだ体験しておりませんが、富山・小原の《風の盆》と並び、風情ある踊りとして有名ですが、また山内一豊の妻・千代の出生地とも言われております。
 今回は十首、我流短歌を纏めてみました。

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5月題詠 「弥生好日 」           2012.05.09  6組 榮 憲道

・歯科・眼科、胃腸・整形・婦人科と妻のアッシー月に十日も
・テレビ観て高級料理を堪能し吾が家の午餐はザルソバ三昧
・眼患いパソコン触れるな酒飲むな妻の叱声一段と増す
・歳なれば丸くなりてと妻嘆く、歳なればこそ自己を貫く
・古希にして総入れ歯たる吾を措き8020妻は目指せり
・週一度主治医の勧める休肝日やはり無理かな昨日も今日も
・老いし身に至福のときは昼寝して妻(め)の手料理に晩酌二杯
・わが姓は絶滅危惧種と言えなくに二人目の男孫(こ)常陸に生まる
・雨、雨、雨、ウィークエンドは恨み節、テニスならずに犬と戯る
・いかな時も我に寄り添う犬がいる共に耐えようあと幾年(いくとせ)は
 
一言メモ 近況報告として十首、短歌に託しました。それなりに苦労しておりますが、残り少ない人生、自慢でも愚痴でも何の遠慮もないかと思います。皆さんの近況報告、是非お聞かせください。

4月題詠 「妖精オードリー 」        2012.04.09  6組 榮 憲道

・母と観しただ一本の映画あり 妖精デビューの「ローマの休日」
・古都に咲く記者と王女の徒(あだ)な恋その道行きにハラハラドキドキ
・オードリーの可憐な容姿に一目惚れあの作この作全てを観たり
・マンシーニの甘き調べとジバンシーの華麗な衣装に魅力いや増す
・晩年はユニセフ大使でアフリカの難民救済に身命捧げり
・うたかたの恋の行方を見守りしローマの街並今も鮮らに
・六十三歳、ガンに逝きたるオードリーの類なき笑顔をDVDに追う
 
一口メモ 私は映画大好き人間です。最近はテレビやDVDが多いのですが、やはり映画は映画館で観るのが正道ですね。今週は女房と「アーティスト」に出かける予定ですが、若い頃の思い出の映画として、「ローマの休日」や「エデンの東」などが記憶に強く残っております。

3月題詠 「孫は三歳」           2012.03.13  6組 榮 憲道

・わが膝に孫と犬とが競い来て暖を取りおる如月の尽
・〈AKB〉〈嵐〉と成りて舞い踊る孫と同居は心せわしき
・辛党となるか我が家の三歳児、晩酌のアテつぎつぎ浚う
・爺婆より食欲旺盛の孫がいてエンゲル係数50に迫る
・花帆ちゃんと可愛く呼べるはいつまでか憎まれ口の日毎に増える
・まどろめる吾が腹の上ドンときてクイズ読み解く孫のどや顔
・春来ればようよう待ちたる幼稚園、吾もようよう安穏のとき
 
一口メモ よく「孫が可愛くて可愛くて」という文章を目にしますが、娘一家と狭い家で同居生活二年、確かに孫は〈可愛い〉のですが、せめて1日置きくらいになってほしいなと女房と愚痴っております。

2月題詠 「友はパソコン」        2012.02.27  6組 榮 憲道

・わが郷(さと)は二宮金次郎の生誕地、この面かの面に旧跡残る
・洪水の災防がんと植えし松は酒匂(さか)川(わ)堤にどこまでも延ぶ
・(報徳訓)刻む碑文を唱和して郷土の偉人の教えを学ぶ
・悪童が我が物顔せる草苑は記念館建ち生家(いえ)復元す
・たきぎ背に学問励む金次郎像時代(とき)に抗せず口惜しくも消ゆ
・我が生家(いえ)は二宮尊徳が菩提寺なり帰郷のおりは墓参欠かさず
・昏き世に金次郎見直す機運あり家族の絆、倹約の仕法

1月題詠 「友はパソコン」        2012.01.07  6組 榮 憲道

・元朝のメール開けば賀状有り時代(とき)の流れにわりなくもなし
・正月は駅伝漬けの三が日お屠蘇かかえて茶の間に居座る
・動き鈍、フリーズともなるパソコンの機嫌取りつつ七年の過ぐ
・お茶の間のバラエティ番組と縁を切り独り籠りてパソコンと和す
・今日は囲碁明日は麻雀わが友はパソコンのなか黙して待てり
・高校の『クラス会報』頼まれてせっせと送る歌やエッセイ
・顔ひとつ定かではなき学友がホームぺージの親友となる
 
一口メモ 2012年が始まりました。世界も日本も問題山積で今年も激動の年となりそうですが、せめて天災やそれに伴う人災だけはないように願っております。
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12月題詠 「浅草逍遥」        2011.12.23  6組 榮 憲道

・久々に義姉(あね)夫婦らと待ち合わせ浅草観音仲見世歩く
・足弱の妻らおなごは駅近く積もる話に花を咲かせり
・建ち並ぶ芝居小屋とう記憶あり半世紀ぶり浅草の街
・小春日の仲見世通りのにぎわいにスカイツリーも興げに覗く
・平成の改修成りし浅草寺の大提灯くぐり平安祈る
・参道の休み処に「どっこいしょ」老い嘆きつつ串団子食(は)む
 
一口メモ 孫に会ったその後、東京に住む義姉夫婦と落ち合い、浅草を散策しました。日曜で天気がよかったせいか、仲見世通りの人波には驚きました。

11月題詠 「孫息子は五歳」         2011.11.23  6組 榮 憲道

初孫の七五三の儀に招かれて妻と訪う茨城の息家(いえ)
・威儀正し地元の古杜に祝詞(のりと)受く五歳の孫の所作を見守る
・将門(まさかど)の城祉につづく境内は樫の巨木の天に聳える
・両親と孫が主役の祝膳に我は小隅でそっと乾杯!
・翌日は柔道大会に初出場、日頃の成果さてと気張りぬ
・初陣は開会直後の幼(おさな)の部、か細き孫が押さえ込みで勝つ
・二回戦はシード相手に惜敗す口惜しさいっぱい号泣の「礼!」
 
一口メモ 11月中旬、小田原の実家に寄って両親の墓参りを済ませたあと、茨城(守谷市)に住む息子一家を訪ねました。年に2、3回しか会えませんが孫の成長を見るのは嬉しいものです。

傘の杖                     2011.11.16  6組 瀬戸章嗣

・傘の杖 日よけ雨よけ転びよけ 分速100歩リズミカル
 
一口メモ  元気で長生きしたと聞いたことがあり、杖に慣れてみようと、5年ほど前から、ノルディック・ポールを持ち歩いてきた結果、いろいろと便利なことが分かりました。
 ① 1杖4歩で歩くと、歩きがリズミカルになり、歩くのが楽しくなる。
 ② 自分は元々1分100歩と速足に慣れて来たが、今は3本脚だとこれが楽になる。
  (もっとも、最近元陸上自衛隊の人から、自衛隊では行進は1分120歩と決まっていると聞いたから、100歩は60歩よりは速いという程度と了解。)
 ③ バスや電車で、バッグやリュックを握りの部分に掛けると荷物掛けになり身軽になれる。
 ④ バス・スキー(ちょっと発表コーナー)にも、スキースティックとしてバランスとるのに便利。
 ⑤ ナンバ歩き (身体の前倒し→重力による前方推力歩行で、明治政府が今の歩行法に変える前までの日本人の歩き方だったという)に慣れるのに、1杖4歩が効果的でした。・・・私   は、ナンバ歩きは蹴らない歩きで、エコ歩きに通じ、2直線歩行でバランスも良く長生きに向    いていると思っており、ナンバ歩きで100歳をめざそうなどと思っています。

 杖の使い方に慣れたところで、最近は老人男子と言えども紫外線に当たり過ぎない方が良いと知り、コウモリ傘をさすことが多くなったので、今年からノルディック・ポールをやめてコウモリ傘一本にして、いつも持ち歩くようになりました。
コウモリ傘とノルディック・ポールの両方の有難さを享受していこうと思っているところです。
ちょっと理屈が多くてごめんなさい。

10月題詠 -その2-  「熊野古道巡り」    2011.10.25  6組 榮 憲道

・動き鈍、乗り物嫌いの妻は措きあの地この地の史跡巡らん
 
一口メモ  こんな心境で妻とは離れ、”歩けるうちに”と一人旅を始めたわけで、熊野古道巡りは2、3年掛けて那智の滝を目指すつもりです。
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10月題詠  「自分を生きる」        2011.10.03  6組 榮 憲道

・ガンに病み胃の半分を失(う)し吾の余命いくばくか腹くくり生く
・ショッピングに妻子(めこ)ら外出(そとで)の午どきは名作ビデオに若き日偲ぶ
・娘(こ)に請われ同居始めて二年過ぐ家長の座捨て個室に籠る
・身体なお動けるうちは挑戦す 旅行にドライブ、テニスにジョギング
・恐妻はた愛妻のレッテル返上せり古希超えたれば自分に生きる
・実体は妻に厭われ娘に倦まれ老犬のみが我に寄り添う
・万一のエンディングノート買い求む遺しおくものなにも無き身に
 
一口メモ  今年古希を迎えたわけですが、当然ですが、これからの一年一年が人生の最終章の予感があり、一日一日を大切に生きてゆかねばという思いが迫ってきました。そんな思いを詠んでみましたが、実際は・・・???。

9月題詠  「2011年 選挙の夏」        2011.09.05  6組 榮 憲道
・大地震(おおない)に原発、豪雨に超円高、災禍の連鎖が日本襲えり

・迷走の“空菅内閣”力尽く、脱原発の流れつくるも

・崖っぷちの日本の現状どう捌く〈泥鰌内閣〉に命運託す

・我が町も夏の終りに町長選、市制控えて三人競う

・我が知れる女性候補は敗れしか、隣りの家より歓声聞こゆ
・しがらみの多い町なりわが町は新しき風容易に吹かず
・列島に数多の試練吹き荒れし2011年、秋も揺れ来る
 
一口メモ  私の住んでおります長久手町は来年1月に長久手市となります。位置的には名古屋市の東端に接し、“名古屋市民”が半分を占めているとはいえ、まだまだ田舎の雰囲気が濃厚です。結局新町長は、元町長の息子(といっても六十代)に決定しました。国政もまあ同じような感じですが、とにかく一日も早い大震災からの復旧・復興に努力して欲しいですね。
8月題詠  「声も高らかに」         2011.08.17  6組 榮 憲道
・週一回ハンドル軽く駆けつける「歌曲の会」は生き甲斐なりき
・始まりは全員起立胸を張り背筋伸ばして発声練習
・シャンソンに歌曲に唱歌にカンツォーネ、ジャンル設けず何にも挑戦
・先生の熱血指導に老い忘れ声も高らに課題曲歌う
・月末の先生不在の教室はカラオケ三昧われもわれもと
・時おりは酒の誘惑断ちきれず友と繰り出す今池の街
   *「今池」は「榮」と並ぶ繁華街で下町です。
・夏祭り晴れの舞台に立つ我らこころ一つに成果披露す
 
(註)「歌曲の会」は男女半々、20人ほどの、コーラスというより、上手い下手関係ない歌好きの気楽な会で、私が「若い」というだけでまとめ役をやらされております。因みに今年の発表曲は「アンパンマンマーチ」、宮城県民謡「大漁唄い込み」、シャンソン「セ・シ・ボン」、戦前の映画音楽「会議は踊る」、合唱曲「マイ・バラード」。程度は”推して知るべし”です。
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