五百羅漢の寺 Home



  2012.09.20     6組 榮 憲道

  ー1ー
 私の故郷・小田原は“天下の険”箱根の玄関口であり、戦国時代、関東一円に覇を称えた北条早雲の城下町としても有名であるが、観光名所の一つとして、【五百羅漢】がほとんどの観光案内書に載っている。この【五百羅漢】こと天桂山玉宝禅寺(玉宝寺)は、小田原で一番高名な寺院であろう。

 新幹線・JR東海道線・小田急線・箱根登山線が発着する小田原駅から、もう一つ、足柄平野を真北に向かって、いかにものどかな単線電車が走っている。大雄山線という。終点にある曹洞宗の大寺・大雄山最乗寺に由来しているが、その三つ目の駅名が『五百羅漢』である。

 玉宝寺は駅のすぐ南側にあり、小田急線の足柄駅からも五分の近距離。道路を隔てて私が通った白山中学校があり、その昼休み、男生徒のあいだにはかくれんぼが盛んであった。私たちはよく玉宝寺の裏山を隠れ場所としていたが、一年時の担任になったA先生は、まさにこの玉宝寺の跡取りであった。

 「人生は戦いである。戦うものは勝たねばならぬ」が口癖の国語教師であったが、その渾名は“だるま”。真ん丸の大きな顔、ぎょろりとした鋭い眼に、真一文字に結ばれた唇―掛け軸にある達磨大師に風貌がそっくりであった。当時は近く(井細田)にある末寺の方に住んでいたので、玉宝寺との関係がはっきりわからなかったが、現在の住職の父親にあたる。


 私の父と同様、比較的若くして亡くなられたようだが、同じ曹洞宗であり、施餓鬼会のときなど私の寺にもよく来られたことを覚えている。

 それから数十年・・・。
 なんという奇縁か、私の甥(弟の長男)の恋愛結婚で結ばれた相手が、そこの五人姉妹の長女Mさん。多少の紆余曲折はあったとは思うが、晴れて婿入りした。

 婚式は玉宝寺で行われ、もちろん私も出席しているが、まだ一度もその有名な【五百羅漢】を拝見したことがない。

 ある結婚式でたまたま隣の席となった玉宝寺の住持に打診すると、「いつでもいいですよ」
小学校の同窓会に出かけ弟宅に厄介になった昨秋、事前に連絡を取ってもらい、翌日訪問することにした。

  −2−
 「小父さんも、五百羅漢見学にやってきたんですか」
その日は小雨模様。山門下で境内にカメラを向けていると、若い女性が声をかけてきた。
「うん、そうだけど・・・」
 「私、【小田急沿線各駅停車の旅】のパンフレットを見て、ここへやってきたの。取材記録を纏めているんですが、小父さんの感想聞かせてもらえませんか」
 メモ帳まで取り出して聞き出そうとしているその熱心さに、「実はここは私の親戚のお寺なんだ。これから五百羅漢を見るから、一緒に来るかい」つい、甘い言葉が口に出てしまった。
 「ほんと? 嬉しいわ」、眼を輝かせた。

 玉宝寺は檀家の数も多い。日曜日で朝早くから法事が続いていたが、ちょうど一段落したところで、案内に立ってくれたのがM子さん。きびきびした立ち居振る舞いのなかにも、まだ娘らしさの残る可愛い一児のママである。

 【五百羅漢】は本堂の堂宇のなかにあった。
五百羅漢とは釈迦牟尼佛の弟子で、羅漢果(悟りの位)を得た五百人の高僧を尊称したもの。羅漢を信仰する者は、現世において、福徳・家内繁栄・無病息災・子孫長久を得られるとされる。

 その造立には諸説あるが、《玉宝寺略縁起》によれば、徳川吉宗の冶世、熱心な信者の兄弟が一念発起して寄進を募り、自ら出家して、二十八年の歳月を注いで完成させたとのこと。
 本尊は高さ八十二㌢の釈迦牟尼佛の坐像。その両脇の壇の上に三十六㌢から六十㌢の立像・二十四㌢の坐像の五百羅漢に、十六羅漢と十大弟子、合わせて五百二十六体の像が整然と安置されている。
 「訪ねてきた人のなかには、よく庭にあると勘違いして境内を探し回っているんですよ」円空仏のような、素朴な木彫りの羅漢像を想像していたが、実にしっかりした彫像である。そして、その一体,一体の表情は豊かで、顔形は千差万別である。

 「今、月に二体づつ、小田原の文化保存協会が修復・研磨してくれておりますが、なにせこれだけ数がありますから、全部終わるまではまだまだ時間がかかりそうです」
 たしかに茶褐色の像のなかに、黄金色に輝いた像がいくつかあったが、なにか異色の趣きで目立ちすぎの感がある。全体がその輝きを取り戻したとき、まさに現代に甦ったものとして一層の注目を集めるとはおもうが、私には歴史の流れをそのまま残した今のままのほうが、何となく魅かれるものがあった。

 これから別の場所を訪ねるという“連れ”の女性と別れたあと、新幹線「ひかり」の時間に合わせて、M子さんが小田原駅までクルマで送ってくれた。
 私の場合、名古屋という遠い場所に住んでいるので、冠婚葬祭以外普段の付き合いはそれほど多くない。個人的に接触するこうした機会があって、初めて心安く言葉を交わせるといえる。

 「今度は妻と一緒に訪れてみようかな」
そんな場面を楽しく思い浮かべながら、新幹線のシートに腰を沈めた。
 
                                     2007年11月作品

 このエッセイは、9月12日の一杯会で、今道さん、米山さんが五百羅漢の直ぐ近くに住んでいるということで、榮さんが寄せてくれたものです。
          ページのTopへ
        1つ前のページへ
          コメントページへ