箱根の万葉公園 Home



  2012.11.19     6組 榮 憲道

  ♢ 箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄す見ゆ

 これは28歳の若さで非業の死を遂げた、鎌倉幕府三代将軍源実朝の『金槐和歌集』の代表的名歌であり、実朝が二所(箱根権現と伊豆権現)に詣でた折の歌である。静岡県と神奈川県を分ける箱根山の峰々の連なる東海道屈指の難所、その玄関口にあたる小田原は戦国時代に関東に覇を唱えた北条早雲の城下町であり、もちろん私の生れ育った場所である。

 今年の夏の終わりから9月中旬まで、息子から第二子誕生との報を受け、妻と共に半月ほど茨城の家に逗留したが、そのお産扱いを無事済ませ名古屋に戻るとき、私は小田原に立ち寄った。疲れた身体での長いクルマ旅を嫌った妻は新幹線でさっと帰名。折角の機会なので、小田原では高校仲間と会食、地元で保育園を営む弟宅に一泊してから帰路についた。気儘な一人旅、そのまま大井松田ICから真っ直ぐ東名高速で帰るのはもったいないと、箱根の北端・足柄峠を越えて御殿場に出るドライブを敢行した。
 
 私の生地は足柄平野のほぼ真ん中の栢山、峠のある南足柄市と接している。その市街を横切り、箱根外輪山の雄・明神岳北面を廻って矢倉沢から登りにかかる。山腹の山里には〈足柄山の金太郎〉で名高い坂田金時の生家跡や、産湯に浸かったとされる高さ23米・幅5米の〈夕日の滝〉、少年のころ熊と遊んだと伝えられる〈金太郎遊び石〉などが散在し、初秋の風物を満喫した。

 「そして、目指す足柄峠は標高760米。西北に霊峰富士、南に箱根連山、北東に丹沢山塊、東に足柄平野、さらにその先に相模湾を見渡せる。
 古代、足柄峠は都と東国とを結ぶ要路であった。大和朝廷の昔、日本武尊が東征の帰路この峠に立ち、弟橘姫を偲んで「あづまはや」と叫んだという記述が『古事記』にある。奈良時代、防人の任に赴く東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い心の叫びを詠んでいる。」(峠の解説板より抜粋)


 峠路は足柄道(箱根古道)と呼ばれ、奈良・平安時代の箱根越えの官道があった。その防人たちの足柄山や足柄地方を詠んだ歌が万葉集のなかに多いことから足柄万葉公園が出来たとのことである。

  ♢ わが背子を大和へ遣りてまつしたす足柄山の杉の木の間か
  ♢ 足柄の御坂に立りて袖振らば家なる妹は清に見もかも

 峠一帯は〈歴史散策、自然の景勝、万葉集の味わい〉の三区画の公園になっており、小田原特産の根府川石からなる東歌の歌碑が、そこここに刻まれていた――。
 実はこれとは別に、箱根の南端に〈日本の歴史公園100選〉にも選ばれている湯河原万葉公園がある。こちらには竹内栖鳳の筆になる歌碑がある。

  ♢ 足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに子らが言はなくに

 万葉集のなかで唯一温泉について詠われた歌ということで、これを嘉として湯河原市が、温泉街を流れる千歳川の畔に瀟洒な公園を整備した。古代建築を模した万葉亭を中心に、数多くの万葉の草花を裁植した森と水の径をゆったりと逍遥できる。

 この二つの万葉公園は、一方はハイカー姿でなければ、一方は浴衣姿でも行ける。正に対照的ではあるが、地元の皆さんにもそれほど知られていない穴場であり、是非一度お勧めしたい場所である。    (完)

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