熊野古道 第二章  伊勢街道 Home



  2011.12.19     6組 榮 憲道

 ◇古希の賀に格好の地を見つけたり熊野権現の神と在す

 毎年11月初旬に全日本大学駅伝が開催され、若者が伊勢路を疾走する。この伊勢路とは、名古屋の熱田神宮を起点に、桑名・四日市・津を抜けて伊勢神宮内宮に到る107キロ、伊勢湾沿いの平坦な道である。

 一方、熊野詣における伊勢路といえば、その伊勢神宮を起点として、那智新宮大社に到る約170キロの街道と七里御浜から熊野本宮へ向かう本宮道をいう。こちらは山また山の難渋の道であるが、江戸時代初期にこの街道が整備されたことにより、伊勢神宮に参拝した東国からの多くの旅人たちが熊野三山巡拝の道として利用するようになったのである。

 伊勢をスタートした街道は、第一の難所ツヅラト峠から紀伊長島で熊野灘に出て尾鷲に到り、西国一の難所といわれた八鬼山を越えて熊野に南下、ここから浜街道を新宮に出て本宮に向かうか、山坂道を直接本宮を目指すかに分かれる。
 江戸時代中期まで隆盛を極めた熊野詣は、その後幕府が熊野山伏や比丘尼の布教、勧進活動の禁止(延宝3年・1675年)によって衰退が始まり、さらに拍車をかけたのが明治元年(1868年)の神仏分離令と五年の修験道禁止令である――。 

 それから百年経った昭和63(1988)年、当時の那智山青岸渡寺の高木副住職の先達で大峯修行が復活、さらに熊野古道が地元の有志やボランティアによって整備された。こうして私のような年配者でも歩けるようになったのはごく最近であり、このことが平成16(2004)年にユネスコから世界遺産に登録された大きな理由であろう。因みに富士山はゴミが多いので、未だに登録されていない。

 伊勢路の魅力は、尾鷲桧に代表される林間の石畳道を、馬越峠、三木峠、風伝峠などの峠道と、「古事記」にも記された歴史と伝説の里や風物を、熊野灘の風光を賞でながら旅する比較的楽なコースであることである。名古屋からは、毎月熊野古道日帰りハイキングツアーが企画されている。好きな日を選んで好きなコースを歩くスタイルで、誰でも独りでも気楽に参加できる。

 そして今、その伊勢道では高速道路が整備されつつある。現在はまだ入り口ともいえる紀勢大内山ICまでだが、延伸工事中の紀勢自動車道は2013年に尾鷲まで開通する。そうなれば、日帰りバスツアーでも、直接熊野三山に到達できる。その日を照準に伊勢路制覇を果たしたい。

 もちろん泊りがけの縦断旅行を決行すれば、一週間もあれば完結できる旅程であろう。しかし、「同行二人」のお遍路ではないが、時間を掛けてじっくりと味わってみたい。私にはテニス、歌、短歌など幹事役で欠席できないサークルがあり、足弱の妻のアッシー、一日三度の散歩が必要なじゃじゃ馬犬サラがいる。無理は禁物である。

 10月23日、夜来の大雨はうそのように上がり、前日買い込んだリュックを揺すりながら、集合場所の名古屋駅前に向かった。大型バスはほぼ満席に近い盛況であった。

 古道を巡るバスツアー、蒼天の秋に一歩踏み出す

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