熊野古道 第三章  ツズラト峠 Home



                               2011.12.23 6組 榮 憲道

 大台のる峯々見晴るかす紀勢新道にツアーバス行く

 名古屋駅前を八時半に出発した名阪近鉄バスは、東名阪、伊勢自動車道と順調に進んでゆく。紀勢自動車道に入ると、右手の山々のさらに向うに釈迦岳や八経ヶ岳らしき大台山系の峯々が遠望出来る。「いよいよ熊野に近くなったな」との感慨がよぎる。

 バスは大宮大台ICを降り奥伊勢の象徴、瀧原神宮を参拝する。伊勢神宮内宮の別宮として天照大御神を祀る由緒ある古社である。宮川の40キロ上流、倭姫命が「大河の瀧原の国」という土地に新宮を建てたのがこの瀧原神宮で、西国三十三所巡礼の第一番札所でもある。宮域は44ヘクタールと広く、周囲は樹齢数百年の杉や桧が林立し荘厳な雰囲気が漂う。神明造りの建物の様式や配置等は内宮の雛形となったとされ、二十年に一度の式年遷宮は伊勢神宮の一年後に今も続いているという。800米の長い参道を踏みしめ、本殿に詣でて道中の無事を祈る。

その後、バスは谷あいの東熊野街道を南下、米ヶ谷集落の手前で下車した。栃古川の清流に沿った村道をさかのぼり古道の登りにかかる。北斜面だが、木立の間から木漏れ日が足元を照らし明るい岨道である。

 林道を古道を間違えて入りかけた山ガール2人を呼び戻したり、休み休み登る老夫婦を励ましたりの小一時間、急に視界が開けた。鬱蒼と繁った熊野の山々の先に熊野灘がキラキラと光って輝いている。ツヅラト峠である。

 ツヅラト峠――江戸時代まで伊勢と紀伊の国境とされてきた要衝の峠、熊野詣の旅人たちが初めて熊野の海を見る場所でもある。直下に見晴らし台があり、昼食を摂る人が多い。写真を撮ったり撮られたり、眼下に拡がる雄大な風景をしばらく満喫してから下りにかかった。

 その下りは名前の通りのつづら折りの連続、今度は熊野灘に面した南斜面ということもあり、種々雑多の木々が生い茂り、大形のシダの葉が足元を揺らす。「時間はまだ十分あるからゆっくりで大丈夫」、追い越そうとして声を掛けたのが桑名から参加したという奥さん。「去年、定年退職した旦那が何もしないで家でゴロゴロしているので、私が外へ出ているの」「私の家と正反対だね」。変なところで妙にウマが合って会話が弾み、ずっと同行することとなった。

途中、自然石で石垣を築いて古道を固めて守る《野面乱層積み》や石畳道、渓流渡りも2、3箇所あり、足元に気をつけながら歩を進める。

 下りきった処にある「ツヅラト花の広場」でバスの仲間達と休息を取り、地元の人による名物のあおさ汁にタイやサヨリの干物の試食の接待を受ける。更に30分ほど山里を抜け、バスの待つ志子川畔に出、すぐ先の「紀伊長島マンボウ道の駅」で最後の休憩をなった。

 マンボウは紀伊長島町の《町の魚》、白身で柔らかく、煮たり肝あえや天ぷらにしたり、酢味噌で食べるという。隣接する片上池は海水と淡水が混じる池で、白竜伝説が伝えられている。心地よい風に吹かれて散策、熊野路の余韻を楽しんで帰路に着いた。

 折る山路辿下れば蒼天にトンビ群れ飛ぶ紀伊長島の里

                                       (第三章 完)

熊野街道沿いの片上池

ツヅラト峠道

  ツヅラトフラワーエリア
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