熊野古道 第四章  熊野灘の峠路 Home



                               2011.12.23 6組 榮 憲道

 南国の陽光(ひかり)溢るる熊野路は霜月もなお紅葉の季節

 「俺は晴れ男かな」12月4日(日)、第二回目の古道めぐりバスツアーの日である。前回と同じく前日は終日雨、そして見事に晴れ上がったおだやかな朝となった。

 さすがに師走のせいか、今回は多少空席があり私は一人席でゆったり。中高年夫婦や女性グループが多く目につく。
今日はツヅラト峠の先、紀北町の熊野灘沿いに連なる三つの峠越えである。

 まず一石峠の登りにかかる。桧林のつづくゆるい登りを一列になって進む。ほどなく頂に着く。一石峠は見晴らしがそれほどなく、古道を見守るお地蔵さんを拝み、そのまま通過する。さらに尾根伝いにつづく緩い坂道をしばらく進むと平方峠となった。ここを抜けると自動車道に出くわし、おだやかな熊野の海が見渡せた。

 JR紀勢線を横切る。古里温泉である。休憩場所で蜜柑とお茶の接待を受けたあと、海沿いの道をのんびり歩く。初冬とはいえ、南国熊野の里は今が紅葉の盛りである。

 写真を撮っていると、「いい眺めですね」と声をかけてくる中年の女性がいた。私の住んでいる長久手町の北隣りの瀬戸市から一人で参加した人で、もう何回か熊野古道を歩いているベテラン、いろいろ参考になる話を聞かされた。

 古里海岸を抜けると道瀬海岸――大小の島々が浮かび、紀伊松島と呼ばれる美しい海岸には、8月末に熊野地方を襲った集中豪雨の名残りか、打ち上げられた流木がいくつか矢倉状に組まれている。

 ここで「食事はもうバスの中で済ませたから」という彼女と別れ、防波堤に腰を下ろし、ゆっくりと昼食を摂る。砂浜を散策してから第三の峠、三浦峠にかかる。別称「熊谷道」と呼ばれるように、峠というより丘に近い岬越えの道であった。そしてその先は豊浦海岸、最終ポイントとなっていた「始神サクラ広場」はすぐであった。

 この日歩いたのは約10キロ。半分はハイキング、半分はウォーキングといった感じの初心者向けコースであるが、まだ熊野古道は序の口である。熊野三山までの伊勢路は始神峠、馬越峠を越えて尾鷲に到る、さらには八鬼山、逢神坂峠、松本峠、風伝峠・・・そして、植物学者南方熊楠が命がけで守ったとされる巨木群――飛鳥神社の大杉、矢の川峠のトチノキ群、長全寺のナギ、大又のカツラ、市木のイブキ、相野屋神社のイチイガシなどが迎えてくれる。

  熊野はまた、歴史と伝説の里である。国生み神話に登場するイザナミノミコトの御陵がある花の窟、征夷大将軍坂上田村麻呂が退治した海賊の首を埋めたとされる大馬神社、神武天皇が上陸した二木島湾口に聳える柱状節理の大岸壁・楯の崎、不老不死の妙薬を求めて秦の国から徐福がやってきたとされる波田須の里や、《日本の棚田百選》の第一とされる丸山千枚田――次なる期待を抱いて熊野の海山に別れを告げた・・・。

 見返れば紀伊松島の島影が名残惜しげに残照に映ゆ       
                                       (第四章 完)

一石峠道

紀伊松島海岸

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