有縁・奇縁 - 7 - Home



  2013.10.12     6組 榮 憲道

 その4 我が音楽史 -3-  「音楽まんだら」

 今年の5月23日、プロスキーヤーの三浦雄一郎氏が80歳で世界最高峰のエベレストの登頂に成功した。〈人生は挑戦だ!〉という氏の前向きな生き方に、我々世代は大きな元気と勇気をもらった形だが、「次は八千米級の山から滑降したい」という彼の談話をテレビの報道番組で聞き、「私もなにか新しいことに“挑戦”してみるか」、朝のひと時考えてみた。

 我が家は典型的な夜型家族である。娘婿が仕事の関係で帰宅は夜中。朝は9時前に家を出る。妻も娘も寝るのは午前1時前後、5歳の孫娘も11時ごろまで起きている。私はマイペースとはいえやはり11時過ぎの就寝、朝は隣で熟睡中の妻や、娘と朝食を共にする婿に遠慮して、早く目覚めてもじっといる。なによりも私が起き出せば、愛犬サラが「散歩に行こう」と玄関でワンワンせきたてるので、寝床のなかでじっと我慢の毎日である。その間は、短歌の推敲やエッセイの筋立て、さてはもろもろの妄想で時間を過ごしている。
その“妄想”の中で、豪華船で世界一周旅行をするとか、今年、世界文化遺産と登録された富士山に登るとか、まだ踏み入れていない北海道に渡って知床半島を一周するとかを考えたが――取り敢えず身近で達成出来そうなことからと、「そうだ、〈新・歌曲の会〉の課題曲となれる歌を譜面に写そうかな」。朝食時つぶやいていると、
 「あなた、また頭がおかしくなったんじゃないの。何拍子か何調とか何にも分からないのに、そんなのを披露したら呆れられるわ」
 「楽器が出来ないお父さんでは絶対無理よ」
 妻と娘からブーイングを浴びた。幼いころ少しかじったハーモニカ以外、楽器には全く無縁の私である。当然であろう――。

 その〈新・歌曲の会〉は名古屋市瑞穂区にある。20年の歴史を持ち、男女半々の20人ほどの歌好きが楽しく親睦を図っている。男性の半分は80歳以上という三浦雄一郎氏もびっくりのグループで、小伊勢屋の関係の渡辺さんもここで知り合いとなった。また今春に入会した山田さんなる男性が、私の従弟と高校時代クラスメイトの親しい仲だと知って驚いた。その従弟は瑞穂区の隣の昭和区の育ちであり、私と同じ早稲田の出身でボート部で活躍、その後トヨタ自動車に勤め、今は豊田市でコーラスを趣味としている。彼は私の父の次弟の次男坊にあたり、私は善榮寺の次男である。榮家の“次男”はどうも名古屋に縁が深いと言わざるを得ない。

 私は定年の翌年、63歳で〈歌曲の会〉に入会した。男性のなかでは一番若い。その5年後、当時の先生と何人かの会員とが指導方法をめぐって確執が生じて先生が辞任。名称も〈新・歌曲の会〉となった。その折、その会の中心となっていた会長が「連帯責任をとって会長を退く。あとは若い人に譲りたい」と表明、一番若い私がリーダーに選ばれてしまった。
 新しく指導を引き受けてもらった東山先生は愛知県立芸大出身の現役のソプラノ歌手で、所属する名古屋二期会ではオペラなどで主役を務める実力派であり、ピアノも一流である。その指導法は丁寧で的確、そして何よりも明るい笑顔で接してくれる。従来以上の活気を取り戻せた。

 例会では毎回課題曲を選ぶ。比較的易しい曲とやや難しい曲を組み合わせて先生の指導で練習、後半は一人一人どちらかを歌うというのが定番で、一応皆が歌えるようになると次の課題曲に移る。その上、年に何回か発表会や老護施設に慰問に出かける。その選曲、特にフィナーレを飾る曲にいつも頭を悩ませてきた。これまで「TOMORROW」、「ウィーンわが街」などから「マイ・バラード」、「Believe」、「花は咲く」そしてこの秋のメインの曲は「大切なもの」と繋いできている。

 来年の候補曲の一つとして私が考えたのが、「SONG」である。仙台で活躍するさとう宗幸の全曲集のLPのトリを飾る作品である。フィナーレといかなくとも、課題曲として発表会後の11月に皆と歌ってみたい。LPでしっかり聴き取り、それを写譜して出来るようになれば、これから楽譜のない曲でも、それを基に譜面を作成でき、幅が広がる。

不安半分、自信半分、私の“挑戦”が始まった。

                                       (つづく)

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