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  2011.09.16     4組 今道周雄

 2003年だったと思うが韓国ドラマ「冬のソナタ」で韓国ブームに火がつき、私も珍しさにつられ、、「大長令」 (Dae Jang Geum)をみた。李王朝11代中宗(Jung Jong)に使えた医女「長令」の話である。最初は料理人であったのが医女となり、中宗の侍医になるという筋書きで、イヨンエ(李英愛 Lee Young-ae)にぞっこん惚れ込んでしまった。それから次々と韓ドラ時代劇をみた。
淵蓋蘇文(Yeon gae so mun):高句麗(Go gu ryeo)を滅ぼし新羅(Sil la)統一のきっかけとなった男の一生。

海神(Hae Sin):奴隷から身をおこし、唐と新羅の貿易で大商人となった張保卑(Jang Damosseu Bi)の話。
大王世宗(Se Jong):ハングルを発明した李朝第4代王の話。 王の女:第15代光海君(Gwang hae gun)を助け、王位に就けた金尚宮(Kim sang gung)という女官の話。
イサン:陰謀により幾度か殺されかけた第22代正祖王(Jeong Jo Wang)の話。

 どのストーリーでも宮廷内で権力争いが起こり、陰謀と暗殺が繰り返される。これではまともに国家が発展しないのではないかと思ったが、それでは同時代の日本ではどうだったのかと問われると何も知らないのに気がついた。そこで読まずに積んであった大正3年有朋堂文庫発行の「神皇正統紀」を引っ張り出して読んでみた。この年代記の問題点は西暦との対応がつけ難いことである。和暦は元号で年を表すが、天皇が即位したり、飢饉や地震などが起こったりすると改元されるからややこしい。
大雑把に言うと、第一代の人皇である神武天皇が周の恵王(B.C. 676-652)と同時代で三韓征伐を行った第15代神功皇后が漢朝の終わり(AD.220)にあたる。15代で約850年間を治めたというのはにわかには信じがたい。

 それはさておき、日本の朝廷では跡目争いや謀反はなかったのか、というのが「神皇正統紀」を読み始めたきっかけであったのだから、そこに話をしぼろう。
まず、目を引かれたのは、第一子が世継ぎとされたことは非常にまれだったという事である。第1代から第31代の敏達天皇まで、第一子が継いだのは5人しかいない。後は第2〜5子が継いでいる。

 第21代の安康天皇などは伯父を殺してその妻を娶り、その子に暗殺されている。第26代武烈天皇は性質がわるく「悪として為さずということなし」とまで言われ、直系の子供はいなかった。
 そこで第16代慶神天皇の第8子の4代目にあたる大迹王子を第27代継體天皇とした。 第33代崇峻天皇は蘇我馬子大臣に弑されたと伝えられている。蘇我氏は渡来人であったのだそうだ。 なぜ蘇我馬子が天皇を殺すに至ったのかと考えているときに、本屋の棚に「謎の豪族蘇我氏」という題名の本を見つけた。早速買い込んで読みはじめたが、どうも学術的で回りくどく、さっぱり分からない。渡来人は朝廷からの招聘でやってきた人々で、古代大事にされたそうである。蘇我氏は仏教の導入に熱心であったそうで、宗教が絡んだ争いだったとも言われる。日本朝廷にも陰謀や謀反は繰り返されていたのだろう。

 話は違うが元駐日大使エドウイン・ライシャワーの著書「円仁唐大中国への旅」に、円仁が唐の役人たちに滞在を拒まれ困ったときに、張保卑(Zhang Bao-Peel)に助けられたという下りがある。韓国の歴史と日本の歴史は至る所で交わっているのだと実感した。

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