ちょっと発表



2011.09.30    吉田龍夫

「騙されたつもりで・・・・・」

 2年ほど前だったか?米山からまたクラス会の案内が来た。ご苦労とは思いながら、私はどうもこの手の集まりが好きではなく、そのままにして置くと・・・今度は吉田明夫から電話が掛かって来た。「俺ももう最後だから、今回だけは出てこい」と言う。

この「最後」の意味は不明ではあったが、普通に考えれば「もう寿命がつきる」とも思えた。在学中は吉田(明)、吉田(龍)、米山と出来の悪いのが3人並んでいたので、その「最後」は見届けねばなるまいと、しぶしぶ湯本まで出向いていった。
 お誘いに乗じて、早めの時間に彼の家にも寄った。

 腰が曲がってよぼよぼした「老人」が出てきた。やはりもう「最後」なのか?と思ったことを口にも出した。何せ半世紀は会っていないが、当時はよく連んだ仲だったのだから、懐かしかった。そして、若い(と見えた?)奥さんと娘さん、孫にも囲まれてそれなりに幸せそうだった。(ついでに私は孫はいない)。

 やつから、今度はメールが来た。お前がやってる「カンタータ」なるものについて書けという。
この前、騙したじゃないかとそのメールを読んだ瞬間には思ったが、そうも言えないので「そのうちに考える」と差し障りのない返事をしておいた。
「今度とお化けは出たことない」はずではあった。  

 今朝(2011.9.28)、海岸を散歩して七里ガ浜の坂をゆっくりと上がってくると(もうゆっくりしか歩けない)、七里ガ浜高校のグラウンドで生徒がソフトボールをやっている、俺も在学中はよくやったな、と思った瞬間、このことを思い出した。
 やつのためにもう一度騙されてみるか。

 「バッハ教会カンタータ連続演奏会」というのが、今、私が全身全霊を傾けてやっていることだ。
これを判りやすく説明するのはなかなか難しい・・・・どうしようか。

♬まずバッハだ、1685-1750年のドイツ、当時は神聖ローマ帝国、教会付きの作曲家、日本の歴史になぞらえると、8代将軍吉宗とほぼ同じ、赤穂浪士の討ち入りは確か1702年(バッハ17才の時)。

♬教会、もちろんキリスト教の教会・・・マルティン・ルターの流れを汲むプロテスタント教会・・・で演奏されていた音楽。バッハは1723年からライプツィヒの教会で毎週日曜日の礼拝にこの音楽を作り、演奏していた。本当に毎週だ。

♬カンタータとは、イタリア語の「歌」という意味、カンツォーネと同じ意味。ドイツでは音楽が進んでいたイタリアのまねが主流だった。イタリアのオペラ形式の音楽と言ったら良いか。それを教会で流用した。

♬歌詞、歌だから歌詞がある。ドイツ語、この時代の日本語はさっぱり読めないけど、ドイツ語は現在と大きな違いはない。

♬最後に教会暦、教会の暦、クリスマスとか復活祭とか・・・日本人はクリスマスだけは祝う?けど、教会では毎週の日曜日は、それぞれに「祝い」があった。

 キリスト教の教えは確かに少々陰気で、固いかもしれない。でもそれを聴くのは普通の市民だった。ドイツ人だからドイツ語は問題ない。音楽もやたら難しくては皆、退屈して聴かない。居眠りがでる。(長い曲は40分にもなるし・・・・教会は夏は暑いし、冬は寒いし)。
 毎週聴かされては飽きてしまう。「つまらないから今週は教会行かない」・・・などとなったら本末転倒だ。

 でもご安心を、そこは大天才バッハがやることだから、易しく音楽を付けられる。
歌詞の内容は「神様を信ずれば救われる」「イエスが私たちの罪をしょって死んだのだから」「彼に感謝しよう」「そうすれば私も安らかに天国へ行けるのだ」等々となる。
 音楽はそれを、合唱で、声楽や器楽のソロで、オーケストラで、綾取っていく。
楽しげに、劇的に、時には深刻に、涙ながらに・・・あたかもそれはイタリアオペラの舞台を見るように、絵物語のごとくに展開されていく。バッハの天才が面目躍如となる。

 教会へ来る人々(この音楽を聴く人々)は音楽が分かる人、好きな人ばかりではない。老若男女、身分の違いなどを超えてそれは人々の心に響いたのだ。
 飽きるどころか人々はその音楽を聴いて、心癒され、幸せに満ちて家路についた。だから、この音楽は現代の東洋人である私たちにも、当時の人々と同じような感動を与えることが出来るのだ。

 そんなものに何でお前のような不心得者が?・・・・キリスト教に入信した・・・まさか。

 私が高校時代からフルートを吹いたのはご存じですよね。
大学、社会人と学業も仕事もそっちのけで、そのアマチュア演奏を続けていましたが、60を過ぎたころ、このカンタータの中にフルートが極めて目立つ曲が沢山あることを知ったのです。
 それまで私はベートーヴェン、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、ドボルザーク、チャイコフスキーなどの交響曲全曲を含め、古今のあらかたのオーケストラの名曲を演奏してきました。しかし、オーケストラに何年在籍しようとこのカンタータを演奏することは絶対にありません。「牧神の午後への前奏曲」(フルートが大活躍する曲)を毎回やるオケはありません。

 これらの曲を吹くためには・・・・どうするか。
ならば、アマチュア演奏家としての最後に、このカンタータをやろうと決意したのです。その動機は極めて不純なものだったのです。

 そのために、自ら合唱団とそのためのオケを結成し、2003年からその連続演奏会を始めました。
驚いたことが起きました。
自分が吹きたいからやろうと思った演奏に、それを「義理」で聴いてくださった方々が、「涙」を流さんばかりに感動し、喜んでくださったのです。
 そのわけはすぐに判りました。それは、この音楽がもつ力だったのです。雄弁に、楽しげに「神への感謝」を語るこの音楽が、聴く人の心に安堵と勇気を与えたのでした。

 始めた当初『「連続」とは全曲演奏を目指しているのですか?』とよく聞かれました。いえいえ、とんでもない。200曲など、死んでも無理ですよ。30人弱の合唱団員、20人弱のオーケストラをまとめ、演奏会を催していくのは激務です。それに「勉強」も大変です。音楽はもちろん、ドイツ語に聖書、チンプンカンプン、頭も身体も衰える中では容易ではないのです。
 演奏会は20回までと決めていました。それが、ついに、来年の2月18日にやってきます。
どうですか、「勇姿」を見に、逗子文化プラザホールまでお出かけくださいますか?

 私の駄文よりはバッハの音楽です。「騙された」と思って1曲お聴きになってみて下さい。
ご存じの「主よ、人の望みの喜びよ」です。これはカンタータ第147番のコラール(賛美歌)です。
この弾むような伴奏に乗って、しめやかに歌われるコラールをお嫌いな方はいないでしょう。

 カンタータ第147番は、1723年7月2日に初演された「マリア訪問の祝日」用の曲で、2部構成、全10曲からなる大曲です。この日のお話は新約聖書、ルカ福音書第1章、39-56節を参照ください。

 また、私の活動の詳細は
http://www.geocities.jp/tafel1221/
http://tafel.exblog.jp

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