ちょっと発表


 

2013.10.30    吉田龍夫
題名などつけられないような馬鹿げた話

 ことは10月初めの、吉田明夫からのメールではじまった。
 どのような風の吹き回しか、米山と2人で鎌倉へ行くという。ついでにそちらへも寄りたいと。
こちらは暇を持てあましている身であるから、では「鎌倉プリンス」でお茶でもと返信すると、すぐさま、某日14:00~14:20『
鎌倉プリンス』へ行きます、と返ってきた。
 何の疑いもなかった。「鎌倉プリンス」は俺の家から徒歩5分、誰でもがよく知っている所だし、まして明夫は俺の家をグーグルアースで検索(観察か?)までしているほどのやつだしと。だがお互いの携帯番号を連絡していなかったのがチョットは気に掛ってはいた。

 その日、特に楽しみにしていたわけではないけど、こちらが近いので早めに家を出た。たまにはと女房を誘ってみた。女房「何話すの?」、俺「PSAの話」、女房「行かない」・・・・当然か。

 ロビーで待つこと15分。14:00ぴったりに、女房から携帯へ電話。
 今、行政センターより電話有り、そちらを尋ねている人が来ていて、場所が分からないと言っているとのこと。こちらは「鎌倉プリンス」で待っていると返事をすると、電話の人(行政センターの人)、親切に、では地図を書いてよく教えますと切れたと言う。
 やつらは何で行政センターへ行ったのか?鎌倉へ来るついでがそこだったのか?行政センターは鎌倉に3カ所あるが、近くは腰越だから電話はそこからだろう。でもどうして本人が出なかったのかしら? まあいいや。車だろうから10分もすれば来るだろう。

  やがて、10分、20分、30分、40分・・・・何やってんだ???
 腰越とここ七里ガ浜は隣町、車で真っ直ぐに来れば10分で充分・・・もしかして歩いているのか? そんな筈はない、やつらが歩けるわけはない。
 少しイライラしてくる・・・それにしても、お互いの携帯番号を知らさなかったのが悔やまれる。携帯どころか家の電話番号もわからない。分かるのはPCのアドレスのみ。

 え~い、こちらから聞いてみよう。腰越の行政センターなら番号は分かる。「さっき、こちらへ電話をもらった人居ますか?」、行政センターは市役所の出先で、職員は数名だ。暫く待つと何と意外な返事、「そちらへ電話をした者は居りません」。電話したことは無いと言う・・・それではやつらは、大船や玉縄の行政センターへ行ったのか。まさか!それらは鎌倉の北の端、こちらは南の端だ。「鎌倉プリンス」と間違えた。幾らボケていてもそんなことはないだろ。「鎌倉プリンス」は一流ホテルだ。しかもやつも自身の返信で「鎌倉プリンス」と書いている。携帯にも転送されているその返信を何度も読み返す。

 時間は3時を回ってくる。
 もう一度家に電話、こんどはお話中・・・畜生。まだか。いらついて今度は携帯へ、出た。

 今、先方から電話が掛っているから何と言えば良いの、慌てて舌がもつれる。「こちらはさっきからプリンスに・・・いや、け、携帯の番号を聞け、メモ、メモ用紙がない。」「簡単だから覚えなさい。」「覚えられるわけがない」、慌てゝレジに走る、「紙、紙呉れ」。

「今どこにいる」、 「路地みたいな所」、 「それじゃ分からない、こちらは「鎌倉プリンス」だ」、「あっ、いけね~、鎌倉プラザだと思ってた」、「 ば、馬鹿、それは逗子プラザホールと混同してるんだ」、 「道理でナビが効かないと思った」。
鎌倉プラザなんて無いんだから、ナビのせいにするな。もらった地図はどうした? 」
「・・・・・?」

 3時20分、ようやくご到着。スポーツカータイプの車にバンダナがよく似合う。でも降りて歩くとよぼよぼジーさん。米山は至極元気そう。相変らず太ってはいる。 久し振りで顔を見たら、イライラも吹っ飛ぶ。

 不思議なことはまだまだ続く。
 行政センターでは、個人の電話番号を教えてくれないそうだ、だから職員が電話してきた。しかもそれは幽霊。

 彼らが行政センターへ行ったのは用事があってではなく、鎌倉プラザを当てもなく探すうち、道を歩いていた「若い」ネーチャンに勧められたのだとか、それが何処の行政センターかは謎ではあるが。

 プリンスの前にはこれも有名な、ゴルフ練習場がある。彼らは迷ううち2時半ゴロ、そこには来たという。そこの受付からプリンス(プラザではなく)の受付に電話してもらったそうだ。そちらのロビーにそれらしい人間が居ませんかと。その返事も「居ません」とのことだったとか・・・・その時間には確かに待っていた俺も、幽霊か。
 でもそう言えばそのころ、受付係に尋ねられた。「ご宿泊の方ですか」と、「イエ、人と待ち合わせしてます」、「失礼しました」。
 これもよく分からない。やつらが「待っている人居ませんか」と聞いたのなら、その答えは「居ました」となるはず、「宿泊予定の人がそこに座っていませんか」と聞けば「居ません」となるが、そんな聞き方をするはずはない、と普通は考える・・・。
 そして、どうしてやつらはそのまま、目と鼻の先のプリンスに来なかったのか?

 更にもう一つ、
 明夫に言わせると、こちらの女房が、俺が行政センターまで迎えに行った、と言ったとのこと、これも分からない。

 俺は、歩いてプリンスまで来たのだから、そのまま(腰越)行政センターへ歩いて行ける体力が今の俺にあるわけがない(40分はかかる。若いころならいざ知らず)。そして、もし彼らがそう聞いたのなら、彼らはそこで待っていなければならないわけだけど、相変わらず「鎌倉プラザ」を探してさまよっていた・・・・わからない。

でもまあ、なんとか巡り会えてよかった。
 それは2度目に家に掛ってきた電話のお陰・・・・でも待てよ。
 その電話番号はどうしてわかったのだろう????
 いくら聞いてもその答えは出てこない。謎、謎、謎。

 それから5時過ぎまでボケ老人3人での四方山話。
 上記の疑問は棚挙げで、主題はもっぱらPSA。そして俺は、どうしも聞きたかったことを聞く。「最後のアンケートになんと答えたのか」と。でも、これにも明確な返事無し。隣で米山もニヤニヤするだけ。
 俺もそれ以上の追求しなかったよ、「じゃ~お前はどうなんだ」との逆襲を恐れたので。
(吉田明夫著「前立腺癌摘出顛末記」参照)

「また来るよ」とスポーツカーは元気に坂を下って行った。
はい、待ってるよ、こんどは迷子にならないように。

 おしまい。

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